サルバドール・エビ

中小企業診断士の超現実診断士への挑戦

芸術

専門分野を自動記述で決める

専門分野。専門分野とは何ぞや。私は理系だったが経済学部を専攻した。理由は工学部に行きたくなかったからだ。工学部へ行くと実験やら何やら忙しいぞとハイスクールテーチャーに言われそれではガレージパンクに支障をきたすではないかと思いイヤだと言った…

ニンジン的ニンゲン関係

人間関係で職場を退職する人は多いらしい。ニンゲンほどメンドクサイものはないしいい加減なものはない。その気持ちはよくわかる。イヤなヤツは地動説がひっくり返ってもイヤなヤツであろう。相手が自分をイヤなヤツと思っていたら逆もまた然りである。組織…

ある重要事項を検討中に「ゑ」という字にぶつかった。この字はなかなか普段お目にかからない。「ゑ」は私の苗字である惠美須の「惠」から来ているらしい。こうしてマジマジと見ていると「るん」である。しかし草体の「ゑ」を見ると「惠」を崩していることが…

肛門と首の形而上学的意味

あることに気づいた。全ては肛門へ帰結していくと。人間存在は肛門から始まり一旦肛門で終わるのだ。開始点であり終着点である。しかし私は首を守らなければならない。人間の部位で首ほど私を敏感にさせるものはない。首に全存在がかかっていることは言うま…

存在と変容

全ての人間はどんなに頑張ってもこの世の物事の0.1%も知らずしてその生涯を終えるだろう。例えば毎日10時間読書をしたとしても一切読まない人間と比較したらその差はないとはもちろん言えないがもっともっと大きな世界をイメージして2人を比較したとすると…

偏執狂的批判的詫び寂び

偏執狂的批判的詫び寂び。パラノイアッククリティックワビサビ。それは日本人しか到達できない領域である。滅びていくものの美しさを妄想的に批判的に。我々の多神教的素地は西洋とは異なる偏執狂性を産み出す。時には批判さえも排除される。排除ではなくそ…

アナログの模倣たるデジタル

敬愛するビリーセンセはデジタルはアナログのマテリアルを根こそぎ破壊しておいてアナログに成り代ろうとしている。すべてアナログの模倣にすぎないのに。デジタルは良い面もあるが道具に過ぎないと言っている。デジタルから感じる薄ら寒さを端的に言い表し…

マーロン・ブランディング

マーロン・ブランド演じるゴッド・ファーザー、ヴィトー・コルレオーネ。彼が座っている部屋の茶色のドアを豪快に開けて一人の男が入ってきた。ザ・シュルレアリスト、サルバドール・ダリ。ダリは目をひんむいてヴィトーを凝視する。ヴィトーもダリを凝視す…

くだらなさとつまらなさの対極にあるその全てを内包するそれをくれ

芸術も経営も奥深いものだ。私などが何かを語れるものではない。しかし少し年を重ねてくると芸術のみにどっぷりと浸かっていると思われるような言動にはくだらなさを経営のみにどっぷりと浸かっていると思われるような言動につまらなさを時に感じてしまうこ…

感性の書

感性の書。小説、詩、随筆、自伝いろいろあるだろう。感性の書は実務書の対義語である。実務のために存在する書はそれはそれで実務遂行には必要である。感性の書とは己の感性をぶちまけたものである。つまり内容によっては何言っているかわからない場合もあ…

内田裕也の遺影がカール・ラガーフェルドに見えた。

Yuya, don't rest in peace!涙を誘う素晴らしい謝辞であった。内田裕也の遺影がカール・ラガーフェルドに見えた。つまりファッションはロックンロールである。ロックンロール。それは魔法の言葉である。絶体絶命の窮地に立たされた時発せられるその言葉はロ…

高価格帯の伝統工芸品の行方

伝統工芸品は比較的全体的に高価格帯のものが多いが中でも素材の価格がそもそも高かったり製作日数が非常にかかるものは工賃がそれだけ加算されていくのでものすごい値段になってしまうことがある。そういう伝統工芸品の現物を見るとやはりクオリティが尋常…

黄緑

眠りの世界へ入りそうな時今まさに眠りの世界から抜け出そうとする時脳内で黄緑が映写される。あの黄緑色は何なのだ。光が眩しい。空全体が鮮やかな黄緑。見事な黄緑のグラデーション。あの黄緑を再現したい。あの黄緑を再現できる色があれば塗りたくりたい…

あなたの本質に共鳴する領域について

私は作曲を10代の頃からやっている。気付いたら脳内で音を鳴らし音像を構成できるようになっていた。とは言ってもガレージパンクという荒削りなロケンローにどハマりした人間でありそこからが起点であるのでいわゆるクラシック音楽のような高尚なものではな…

緊張感という醍醐味

日常で緊張することは大なり小なりあると思う。なるべく緊張などしたくはないがある程度人間にとって必要なものでもある。最高の緊張感を味わえるものとしてスポーツ観戦があると思う。結果という唯一のゴールに向かって人と人が競い合う時例えば優勝争いを…

シュルレアリスムが再考察!?

ある造形師の方と話す機会があった。なんと現在アートシーンの最前線?ではシュルレアリスムが再考察されているらしい。その理由、きっかけは定かではないがあと何年かで100年になる過去の芸術運動が再考察されているということに少し驚いた。これは個人的な…

批判的たれっ!

前回は「偏執狂的」を噛み砕いてみたが今回は「批判的」を考えてみる。批判的とは物事を客観的に分析的に論理的に考えていく態度のことを指す。否定的に物事を見ることはイコール批判的ではないのだ。批判的は英語でクリティカルである。そうビジネスマンな…

偏執狂的たれっ!

偏執狂(へんしゅうきょう)とはパラノイア、妄想症とも言われる。一つの事に異常に執着し、病的な態度を示す人をそう呼ぶ。モノマニア(monomania)であり単一の思考に没頭している人である。一方で偏執病(症)というのは「私は次期天皇である!」とか「誰…

偏執狂的批判的方法をわかりやすく

ダリセンセは自分の創作活動の方法を「偏執狂的批判的方法」と呼んでいた。センセの定義によれば「精神錯乱的な連想と解釈の批判的かつ体系的な客観化に基づく非合理な認識の自然発生的方法」とのことらしい。これを読むだけではん??となる人が多いだろう…

セーセーした精神からブッツブツの物理へ

ダリセンセはフロイトセンセの精神分析学に影響を受け、それが作品に反映されている。そして時代が進むにつれ数学、物理学にも関心を持ち宗教と科学と芸術の融合を目指しているかのような作品をつくっていった。なるほど~ちゅうことでフロイトの著作と物理…

ファッッショョン・イズ・ノッット・アートッ

どうでもいい話と言えばどうでもいい話。個人的な直感というか感覚としてファッションというものは芸術でないとずっと思っていた。ファッションはアートでないと。音楽や絵画はアートだと思う。その理由ははっきりしない。感覚的なものだ。ファッションに無…

黒人の画家

「黒人の画家」。ふとその言葉が頭をよぎった。黒人の画家をご存じだろうか。学校教育レベルのことしか私は知らないので恥ずかしながら黒人の画家と言えば誰と浮かばなかった。黒人の画家が浮かばない理由は幾つか考えられる。有名な人が少ない?学校教育の…

芸術家に対して創造性支援をする

ふと頭に浮かんだ。芸術家に対して創造性支援をするのはどうだろうかと。芸術家に対してその創造性をさらに発揮してもらうようにコンサルするのである。その才能が枯渇したか何かでスランプに陥っている芸術家もいるだろう。アイデア発想法を全く知らない芸…

A Dali Primerちゅうダリ読本

ダリのファンであり友人であるモース夫妻。彼らのダリコレクションを展示するためにフロリダのダリミュージアムは設立された。いつか行ってみたいところである。モース夫妻は"A Dali Primer"ダリ読本という本を出版している。日本語版はないようだがこのダリ…

新規事業開発にダリ現る!

トーキョー診断士会のマスターコースもいよいよ終盤戦に突入した。受講しているマスターコースは中小企業診断士が関わる領域を全方位的に1年間かけて学ぶものだがその中で最も楽しみにしている新規事業開発を受講した。一枚の絵から講義は始まった。なんとそ…

承継不可能ビジネス

ある職人さんを取材した。詳細は明かせないがその方は職人でありゴリゴリの芸術家だった。その方の作品は一品ものであり超現実を具現化したような作品もたくさんあり度肝を抜かれた。しかし実用性のない芸術品ではなくあくまで日常使うものを作っている。シ…

パンクとニューウェイヴ、ダダイズムとシュルレアリスム

パンクとニューウェイヴはダダイズムとシュルレアリスムの関係に似ている。パンクはこれまでのロックを破壊するものだった。しかめっ面でピロピロとギターソロをダラダラ弾く音楽を真っ向から否定した。ラモーンズが典型的である。例外はあるとして基本的に…

アイドルと放屁芸術

芸術に本気で取り組むアイドルは苦悩しているに違いない。芸術とは自己との対話が必須だ。アイドルは偶像崇拝的な側面を持つから自己と作り上げられたイメージとの間には埋められない溝がある。思い描く芸術と自己とアイドル像の自分とトリプルコンフュージ…

キッチン・イズ・アトリ~エッ

ベルギーのシュルレアリスト、ルネ・マグリットはデペイズマンの手法を使用した代表的な画家である。彼の画は見る人をドキッとさせる。しかしマグリットはダリとは正反対の平凡なライフスタイルを送っていたそうだ。幼馴染の妻とアパート暮らしで、専用のア…

The Body Of Dali

ダリの著書を読むと、ダリは延命科学や冬眠技術に興味があったことがわかる。また「天才は死なない」とも言っていた。しかしダリは1989年1月23日に亡くなっているので冬眠したわけではない。葬式をやったはずである。ちょっと調べてみたところ、ダリの葬式の…