サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

おぱぱ論争

巷では「おぱぱって何?」と
論争が起きているようである。
流行語大賞にノミネートされるのも
最早時間の問題であろう。
先日ある会合に参加したところ
そこそこの人数の前で
ヱビ氏におぱぱを語ってもらおうという
流れになりそうだったので
「これはマズイ」と思った私は
その流れをおぱぱしたのだった。
私が「おぱぱしたいな」と言うと
ヒワイに聞こえると言うオナゴがいたが
頭がおぱぱで一杯なのだろう。
私はそのオナゴをおぱぱすることも
もちろん出来たがおぱぱしなかった。
いや私はそのオナゴに一切触れずに
おぱぱしてしまったのである。
ヱビ的感性を持ち合わせている人は
私が使うおぱぱを理解してくれる。
その人自身が
おぱぱを使っていることもある。
「あの件、おぱぱしときました」
「例の件、おぱぱできませんでした」
などなどオパニケーションからの
オパチュニティーズが発生し
私は一瞬だけ夢と幻想を見て涙するのだ。
仕方ない。
ヒントを与えよう。
おぱぱとはおぱぱへいとは何か。
それは放屁芸術と肛門哲学から
説かれるものである。
そしておぱぱへいは
芸術と肛門が起源である。
鋭い方は気付くかもしれないが
哲学と放屁ではないのだ。
芸術と肛門に切り込んだ芸術から
産まれたおぱぱへいに
私はダリの思想をヒントに
解釈を与えたのだ。
何言ってんだ?狂ってるの!?
と思ったあなた!
狂っているぞ!と言うしかないが
これは真実である。
私は生きている限り
あなたを全力でおぱぱする。
さあ、おぱ会をやろう!
NO OPAPA NO LIFE!!!