サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

許容と解放

先日、珍談士飲み会で
あるお方にこんなことを言われた。
ラソンで体を鍛えていて
密かに尊敬している診断士の方である。
「ゑびすさん、あのブログは
文才というかどうして
ああいう感じで書けるんすか?」と。
闇を感じるというか
何がどうしてこうなった!?と感じるらしく
「奥さんとか大丈夫なんすか?」と
心配なさっていた笑。
ワイノワイッフはこう言っている。
ミスターセンクスさん
ブログの方がヤバイ」と。
つまり超現実珍談集サルバドール・ヱビは
許容範囲内ということなのだろう笑。
「会社の人とかも見られたらヤバいっすよ」
とあるお方はおっしゃっていた。
会社でも読者が1人いて
たまにコメントをくれる
ありがたいお方がいる。
私の名前を検索すれば
ここに辿り着けるようなので
現実世界で会ったことがある人が
どれだけ読んでいるかはわからない。
その割合は不明だが
会うと読んでますよ~と言う人も結構いる。
毎日なかなかのアクセスがあるので
自分の想像以上にエライことになっている
可能性はある。
ド〜ニデモナレ!
こんなブログになってしまったのは
ダリのせいである。
いやダリのおかげである。
ダリの絶版「天才の日記」を
発見してしまい私に薦めた
ミスターセンクス氏も戦犯である。
ダリの「天才の日記」が私を解放した。
私はずっと前から先天的にこうなのだ。
私はありのままをここで解放している。
コレは私である。
冷静に考えれば
自分が自分でないかのごとく
周囲に遠慮がちな言動をしながら
死んでいく人も多いのではないだろうか。
そうなってしまうのは
社会的要請、世間体、自己防御など
色々な理由があると思うが
つまりそれはあなた自身なのだろうか?
私は自分が自分らしく
あなたがあなたらしく
生ききるということを
探究し実現させることを構想している。
そのためには
私が私である必要が前提として必要なのだ。
センクスダリ!
センクスミスターセンクス!
私はあなたが最も心地よく胸を張って
狂えるように解放したい。
やるべきことはそれなのである。

地方あるあるをクツガエセ

年内最後の企業内診断士研究会の
定例会が開催された。
我が県の診断士である方が経営する
経営コンサルファームと言えば2社
筆頭に名前が挙がるがその内の1社の
先生がゲストスピーカーとして
お忙しい中、来てくださった。
独立時のエピソードや
コンサルファームとして
事業化していこうとなぜ決意したのかや
どのように会社経営をしてきたかを
ざっくばらんに話してくださった。
忘年会もとても有意義な時間であった。
純粋な中小企業診断士業は属人的で
標準化が難しくコンサルファームとして
事業化するのが難しいと言われる。
1匹オオカミ診断士として
大活躍されている先生がいる一方で
事業化するケースは現状は少ない。
その意味で大変貴重な機会である。
先生はコンサルテーション業を
地方に根付かせたいとの思いがある。
地方あるあるであるが
優秀な学生は大学進学時に
大都市あるいは
他の地方都市に行ってしまい
就職する時も地元以外で就職し
戻って来ないというケースが多い。
私も一応、地方の進学校に行ったのだが
ほとんどは地元から巣立ってしまい
地元に残る者、戻る者はほんの少数だ。
新天地へ行くことは無限の可能性があり
否定するものではなくイイとは思うが
その分地方に秘めるパワーは
大きく流出してしまっていると言える。
地元に愛着があり戻ってくる同窓も
転勤のない公務員になるケースが多い。
メーカーに入りつつ診断士になり
あれやこれややろうと考えている
とち狂った人間(私)は
母数で考えると統計的に皆無である。
先生は地方に受け皿があるとは言い難い
現状を打破すべく
地元の大学を出てそのまま
地域へ貢献できるコンサルファームに
就職するモデルを
つくっていきたいとのこと。
それゆえインターンも受け入れている。
大変高い志である。
感銘を受けた。
もろもろ事情はあったものの
私は「ファック満員電車」という
その1点で地元に戻ってきた。
一時的に地元に帰り大都市へ戻ろうとも
考えていたがそれもヤめた。
私はここで死ぬことにしたのだ!
次はファック通勤だ。
通勤そのものもおぱぱしたい。
地方をおぱぱし
大都市をおぱぱする。
地方の可能性を爆発させ
純粋なファックに集中するのだ!

イルミネーション・ジャズを鳴らしておくれ

街に流れる川でキャンドルを流す
イベントをやるっちゅうことで街へ。
集められた大勢のコドムォッタチは
順番に自分たちのつくった
手作りキャンドルを川に流したのだった。
地域のイベントとしては
コドムォッタチの思い出に残る
良いものだったと思う。
我がふるさとはジャズの街として
町おこしをしている。
そのイベントでも生のジャズを
演奏しているおそらく
地元のジャズバンドのおじさん達がいた。
「枯葉」を演奏していた。
他の曲も往年のモダンジャズなどである。
寒さと相まって良い雰囲気は
もちろん出るのだがヱビ的感性は
反応せずむしろ違和感を覚えたのだった。
私が知らないだけなのかもしれないが
決まってこういう時に
この街で演奏されるジャズは
1940年代に発生したモダンジャズである。
はたしてそれでいいのだろうか。
枯葉を演奏しているだけでは
文化は枯れるのだ。
キラキラした街に合わせるかのように
イルミネーションのようなジャズを
鳴らしてやろうと
思わなければ文化は前進しない。
そんなこと言ったって
ジャズの生演奏が鳴っているだけ
いいじゃないと思う人もいるだろうが
ギョーザ喰ってその後バーで
枯れたジャズを聴きながらカクテルを
飲むだけでは人生は枯れていく。
本当の意味で町おこしをするには
アリモノを少しでも進化させようという
意識をもつことが第一命題である。
ジャズが演奏できるおじさん達が
単に多い街では転がりようがない。
むう。
この街が化けるには
高いハードルがありそうである。

シカゴマンゴー

ななんとアンタッチャブルが復活とのこと。
テビレで久々の2人のザイマンを観たら
涙が出そうになった。
活動停止から10年が経った。
10年である。
平成のテキトー王ザキヤマ
平成のツッコミ王しばんちゃんの絡みは
やはりPSYCHOであった。
何がどうであれ彼らはPSYCHOなのだ。
活動を続けて欲しい。
彼らは「シカゴマンゴ」という
ポッドキャストをやっていた。
一に音楽、二に音楽、三四に音楽、
五にオーディオブックッの私も
シカゴマンゴだけは音楽よりも優先して
聴いていたものだ。
ザキヤマの果てしないボケと
しばんちゃんのキレまくるツッコミに
毎回毎回ヤられっぱなしであった。
腹が痛かった。
エンドレスでボケまくる
ザキヤマメソッドを流用し
知人にやってみたら
キれられた思い出もある笑。
マン○ーアレルギーの私でも
シカゴマン○だけは大丈V!
唇が何倍に腫れあがっても
聴き続けたい!
このまま定期的にコンビ活動をして
ポッドキャストも再開することが
心からの願いである。

大井町の残像と独創未来図

企業を未来工業化する支援を行っている
先生のセミナーを受講した。
セミナー受講後、先生は個別で
私の人生相談に乗ってくれた。
セミナー後に人生相談もしてもらうのは
かなりレアケースであると思う笑。
ユニークで優しい先生であり
貴重なアドバイスをいただいた。
あれ?ここは!?
先生と一緒に歩いていて
ふと周りを見渡すと
見たことがある風景だった。
昨年の冬、トーキョービッグサイト
大きな国際見本市があったのだが
宿泊したホテルのすぐ近くに私はいた。
駅までの真っ直ぐな道を見て
当時のことがフラッシュバックした。
企画責任者であった私は
ブースを朝一番乗りで確認するために
朝早くホテルの部屋を出たのだが
承認者である大ボスも部屋から出て
エレベーターを待っていたのだ。
なんというタイミングなのだ笑。
私は大ボスと一緒に大井町駅に向かい
ビッグサイトの会場に入るまで
色々なことを話したのだった。
大ボスは今はもういない。
会社を去ったのだ。
思えばあの頃から去ることを
決めていたのかもしれない。
これが言いたかったのだが
不思議なもので
今日会った先生とのご縁は
大ボスが与えてくれたものなのである。
去る直前にこのセミナー行かないかと
私に言ってくれたのだ。
あの町で感じた
あの妙な感覚は何だったんだろう。
何かが続いている感覚。
間違いなく時間は過ぎた。
諸行無常である。
何がどうであれ
諸行は無常であることに
人はやはり切なさを感じるのだ。
私は大ボスを忘れることはないだろう。
セミナー終了後、記念写真を撮り
我々を楽しませようとシルバーのカツラと
パーティーメガネをつけてくれた
先生のことも忘れない。
先生は
「オリジナルであれ」と私に言った。
やるなら独創であれと。
独創で未来図を描く。
これが今後の私のテーマだ。

性格の不一致

サルバドール・ヱビのアンテナが反応した。
「性格の不一致」ってなんぞやと。
誰かと誰かが結ばれ、時が経ち別れる。
それが日常茶飯事の現代であるが
その最大の理由が性格の不一致だそうだ。
ふむふむ。
そもそも性格が
一致することはあるのだろうか?
産まれや育ちも違う人間の性格が
一致していた方がオカシイ。
音楽性の違いでセパレートするのと
性格の不一致でセパレートすることは
言葉上では私には
大差がないように聞こえてしまう。
つまり人間の性格は
不一致がデフォルトなのである。
そう考えると性格の不一致という言葉は
何が言いたいのかが見えてくる。
それは自己理解と他者理解の欠如、
つまり相互理解の欠如が根本的な
セパレートの原因であるということだ。
自分の価値観を押し通そうとお互いやれば
ドンパチになるに決まっている。
まずは自分を知り
次に相手がどんな人間なのかを
知ることが前提として必要なのだ。
この世には適性診断と呼ばれる
便利なものがたくさんある。
そういうものを使って
相互の理解を進めるのもいいだろう。
しかしそれはやり過ぎでもある。
そんな遠回りをしなくてもいい。
やはり対話である。
対話に尽きる。
人と人とは
対話で始まり対話で終わるのだ。
対話を続けていく中で
セパレートすることに
決まることもあるだろう。
ただそこで言えるのは
それは性格の不一致が原因ではない。
それぞれの理念が違うのである。
「人」を理解するということは
深遠なテーマであるが
注意深く掘り下げていきたいところだ。
「人」こそ神秘の塊である。
私は「人」に最もおぱぱされる。

朝立ち昼立ち夕立ち夜立ち

「マジメなこと書いてんじゃない!」
あるお方からお叱りを受けた。
表題のタイトルで書けと。
「朝立ち昼立ち夕立ち夜立ち」
私は何を書けばいいのだろう笑。
美女との○交の成功者、
ミスターセ○クス氏が書くお題であり
永遠のチェリーボーイ、
サルバドール・ヱビには荷が重過ぎる
テーマである。
仕方ない。。
イってみよう。
「朝立ち」
朝立ちは不思議である。
ヒワイな夢を見ていないはずなのに
ハードモードなのは
崇高な哲学を感じさせる。
そのまま戦闘態勢にも入れる怪奇現象だ。
「昼立ち」
コレは毎日なっていたらヤバイ笑。
しかし時に起こる現象である。
カラダが疲れ切っている時に
この現象はなぜか起きる。
たぶんカラダが
「コイツは疲れている。
このまま死ぬかもしれない。
その前に爪痕を残せ!」と
指令を出しているのかもしれない。
眠いのにハードモードなのは
たまったもんじゃないが
神秘性をビンビンに感じさせる現象である。
「夕立ち」
そろそろサルバドール・ヱビも限界だ。
なんて癒されるワードなんだろう笑。
夕立ちの時くらいミートスティックを
休ませてあげたいものだ。
「夜立ち」
コレはどちらかと言えば実務的である。
自発的な行為であり
そこに哲学や神秘性は感じられない。
しかしそこに愛はあるだろう。
こう書いてみると
やはりミートスティックフィロソフィーも
奥が深そうである。
「哲学も濡れる」ということだ。
一体私は何を書いているのか笑。
永遠のチェリーボーイである私は
今もどこかで美女がケダモノ達に
狙われ交わるという現実を
すんなりと受け入れることが出来ない
私こそがまさにケダモノであると言う
構図に混乱し錯乱しつつ
私はさらなる高みを
目指すしかないのだと悟り涙を拭い
目を閉じて心の平穏を取り戻そうと
神々に祈りを捧げるのだ。