サルバドール・エビ

中小企業診断士の超現実診断士への挑戦

プレゼンテショーンおぶマッスターコスー

トーキョー診断士協会のマスターコースの
最終講義”プレゼンテーション”を受講した。
まずはプレゼンテーションの講義を行い
その後は受講生がそれぞれプレゼンを
皆の前で発表しそのフィードバックを
もらうという内容であった。
私は『私のブログはどこへ行く』という
テーマでプレゼンをした。
皆採点するモードでかなり緊張したが
いざ始まると熱が入ってしまい
あっという間に終わってしまった。
ブログを始めたきっかけ、
最初は真面目な診断士ブログだったこと、
現在はブログタイトルである
サルバドール・エビになぜかひっぱられ
超現実診断士ブログになってしまったことを
話してみた。
結構ウケてくれたのは嬉しかったが
プレゼン的には最悪だったかもしれない。
この講義はそれぞれのプレゼンを撮影し
受講生それぞれに配布してくれるので
自分のプレゼンを確認することができる。
まだ私はそれを見ていない。
見なくてはいけない。
診なくてはいけない。
見たら発狂して全裸で外を
走り回ってしまうかもしれないが
珍談士の使命としてチェキラするのだ。
見た感想はまたここで述べようと思う。

中小の知財を守れ

中小企業の知的財産が大企業に奪われる
問題が深刻になっているようだ。
製造業だけでなく小売やサービスなど
業種も広がっているらしい。
言うまでもなく中小企業は経営資源
大企業よりも不足しているので
人・モノ・金で勝てないなら何で勝つ、
それは知恵と工夫、つまりアイデアであり
イデアが知的財産となる。
そこを大企業に奪われてしまったら
中小企業はますます厳しい状況に
追い込まれてしまう。
特許侵害については、原告が提訴しやすい
改正特許法が今国会で成立しているが、
力関係を考えるといいように
振り回されてしまうことも少なくないだろう。
共同研究する際は不利な契約書に
サインしなければならない状況に
持っていかれることもあるそうだ。
まさに大企業と中小企業間の
日米修好通商条約状態である。
中小企業を弱体化させることは
柔軟性、独自性、多様性を破壊することに
繋がり国家の弱体化にも繋がる。
由々しき事態である。

専門分野を自動記述で決める

専門分野。
専門分野とは何ぞや。
私は理系だったが経済学部を専攻した。
理由は工学部に行きたくなかったからだ。
工学部へ行くと実験やら何やら忙しいぞと
ハイスクールテーチャーに言われ
それではガレージパンクに
支障をきたすではないかと思い
イヤだと言ったら
経済学部ちゅうもんがあると。
そういうやつは経済学部へ行けと。
アイアイサー!
これが私の専攻選択の経緯である。
専門分野とはなんなのだろう。
学士、修士、博士、非常勤講師、
専任講師、准教授、教授。
どこからが専門家なのだ。
学士ではないのだろう。
中小企業診断士は専門性がないと
良く言われている。
そんなことはないと思うのだが
コレ!と言えるものも確かにない。
診断士が見ている世界というのは
専門的だとは思う。
特に診断士同士が話すと
どこまでも話が止まらなくなる現象が起きる。
何とも不思議である。
おまんまを何で食べているかが
専門を規定するのか。
私は振り返ればプロモーションを
中心としたマーケやブランディング
もう何年も携わっている。
専門家なのか?と聞かれれば
ハイとは言えないところもある。
ビジネスは変化していく。
陳腐化していく中で専門性に
こだわる必要性もないが
自分がやってきたものを軸として
対象がいいものなのかわるいものなのかを
判断することくらいはできる。
ただそれが視野を逆に狭めている
可能性も否定はできない。
専門性など自動記述で決めれば良い。
税理士なんで税務の専門家ですと
言われてもそこら中に税理士はいる
わけでむぅとなるだろう。
専門という言葉で縛られて
窮屈になっている人がいたら
それはそれでかわいそうである。
ムッシュポポポポティン!

ニンジン的ニンゲン関係

人間関係で職場を退職する人は多いらしい。
ニンゲンほどメンドクサイものはないし
いい加減なものはない。
その気持ちはよくわかる。
イヤなヤツは地動説がひっくり返っても
イヤなヤツであろう。
相手が自分をイヤなヤツと思っていたら
逆もまた然りである。
組織なんてクソじゃん。
人と人が集まったらロクなことないよねと
ある名物先生が言っていた。
まあそうだろう。
超現実世界に生きていると
意外とそういういわゆる現実では
耐性ができていると言えるかもしれない。
仮に説教されたとしても振り返って
ニヤニヤしてしまうサイコパスなところがある。
右から左へ流れて行き
左から右へ流れていくことで
脳の中心で苛立ちはリボン結びされ
ふわっと消えてしまう。
人間関係は人参関係と同義である。
砂漠でデザートを食べよう。
デザートインデザート。
ドロドロに溶けたアイスクリームを顔にかけよう。
その心地よさが答えである。
イチゴになったストロベリーがいいのか。
ストロベリーになったイチゴがいいのか。
はっきりしたまえ!!!
パラシュート・アーミーに襲撃された
イヤなヤツは人参関係が理解出来ず
墓場で泣き苦しむのだ。
ああかわいそうに!
威風堂々たる凡人礼賛でもして
シュークリームでもコンシュームしようではないか。

ホッビホッビホッビーショヲ

ホビーショーたるものに仕事で行った。
2回目である。
ホッビーとはなんぞや。
趣味、道楽のことである。
ホビィは楽しいものだ。
ホッビステッピジャンビである。
各社が新製品を出してそのファンが集う。
とても良いことだ。
しかしそれだけではないものを見た。
「未来感」を全面に打ち出している
賑わいを見せるブースがあった。
やはり「未来感」というものは大事である。
「未来感」は変化していく。
古き良き未来感というのもあるだろう。
展示会に限って言えば
「未来感」があるものには人が群がるのだ
ということが改めてわかった。
単に目立つものも人を集める。
しかしそれ以上の吸引力を持つには
「未来感」が必須である。
その次の日の夜、
私は量子コンピュータの話を聞いた。
量子コンピュータの未来感も尋常ではない。
しかしそれを理解するには
量子力学の理解が必要だ。
量子力学のホビー化である。
量子ホッビィ。
量子ホッビィ。
私自身がシュレディンガーの猫になることで
問題が全て解決しないのだろうか。

アルパカになったアルカポネ

電磁波を友人経由で垂直宇宙。
キャラメルの匂いを充満させたビニールハウス。
アルパカになったアルカポネなのか。
アルカポネになったアルパカなのか。
その片鱗を見せる植物の光合成
埋められた電線の運命を考える。
やさしさに囲まれた玄武を二度見して
二度寝を繰り返し60年。
大雨の朝、良い天気ねとつぶやく
薄気味悪さがこれ以上我が人生に
近づかぬよう細心の注意を払いながら
後部座席まで伸びる耳をたたむ。
そーっと上に上がる。
階段をわざと転がり落ちる。
その痛みで息が出来なくて
やっとパンクチュアルなスタイルを
取り戻せることに安堵する。
さあ、寝よう。
さあ、寝よう!
こっそりとおやつを食べた麻薬の密売人が
高熱にうなされる。
緑色の木々のその一本さえも
消化できぬこの人生で
喉の渇きを癒すことに専念した
自動売買システムの構築に没頭する。
厳密に言えば北の国にはないその精細さを欠いた
規則正しい采配は高みの見物されている。
炭酸の泡!
泡の炭酸!
その認識を取り違えるのと同じくらいの
低俗さを兼ね備えた風貌に感化され
リモートコントロールをオフにした。

ある重要事項を検討中に
「ゑ」という字にぶつかった。
この字はなかなか普段お目にかからない。
「ゑ」は私の苗字である
惠美須の「惠」から来ているらしい。
こうしてマジマジと見ていると
「るん」である。
しかし草体の「ゑ」を見ると
「惠」を崩していることがわかる。
「ゑ」のカタカナは「ヱ」である。
「ヱ」といえばあの誇り高き
日本のビールが連想される。
「東夷」という言葉がある。
「あずまえびす」と呼ぶ。
電流が走る。
そうか!
なるほど!!
「え」でもなく「エ」でもない。
「ゑ」である!
「ヱ」である!
おぱぱへい!おぱぱへい!おぱぱへい!
誇り高き麦酒を飲み干し
るんるんと「ゑ」が動き始める。
私は「ゑ」そのものであり
半径1cm動かなくともその大きな大きな
存在に出会うことができたのだ!
「ゑ」にまみれる時が来たのだ!!!
おぱぱへいは眠りから覚めた。
世界はおぱぱされる運命にある。