サルバドール・エビ

中小企業診断士の超現実診断士への挑戦

未来イズムと4-Hour Method

先日、岐阜県の超優良メーカーとして
有名な未来工業の工場見学をした。
未来工業の創業者である
故・山田昭男氏の未来イズムと
米国の起業家であるティモシー・フェリスの
4-Hour Workweekで提唱された
4-Hour Methodには共通点があると感じた。
未来工業はやることを3つに絞っているという。
「製品の差別化」「経費の削減」
「徹底した人材マネジメント」の3つだ。
管理職は社員が働きやすい環境を
つくることに徹するらしい。
一方で4-Hour Methodは自分の強みとする
業務以外をすべてアウトソーシングして自動化し
生産性を極限まで向上させる方法である。
自分の強みとする業務以外を
すべてアウトソーシングするということは、
徹底した差別化とマネジメントを要する。
ティモシー・フェリスの場合は商品開発と
マーケティングのみに特化し、それ以外は
すべて徹底した管理のもと外注をした。
経費を削減するためにアメリカからインドの
ヴァーチャル・アシスタントに業務を外注し
利益を創出するようにした。
これは言うまでもなく経費の削減である。
未来イズムも4-Hour Methodも
同じ論理下で動いているように見える。
企業として組織で経営をやるか、
一人で経営をやるかの違いだけである。
マネジメントする対象が社内か社外に
あるかの違いだけである。
どちらの再現も一筋縄ではいかないが
学ぶことは多い。
この2つの違いを研究していくことも
有用と思われる。

超現実と音楽

超現実主義(シュルレアリスム)と音楽の関係は
どうなのだろうとふと思った。
ちょっと調べてみたところ、音楽に関しては
超現実主義で盛り上がることはなかったようだ。
自動記述(オートマティスム)と
即興演奏(インプロビゼーション)は
一見親和性がありそうだが、
冷静に考えると音楽は現実に依拠していない。
どちらかというとゼロから産み出される芸術である。
音の波つまり空気振動であるため鳴った瞬間に
消えるという特殊な表現でもある。
文学や美術では「ありそうでなかった現実感」、
「なさそうでありそうな現実感」を表現できるため
超現実主義と親和性が高い。
無音の音楽であるジョン・ケージ4分33秒
どちらかと言うとダダイズム的であり、
スティーブ・ライヒミニマル・ミュージック
反復音楽であり超現実的とは言えないと思う。
またシュルレアリスム創始者である
アンドレ・ブルトンが音楽に対して否定的で
あったのも大きな理由であるらしい。
ダリも音楽は嫌いだと著書で述べている。
ワーグナーが作曲した楽劇の
トリスタンとイゾルデ」を聴きながら
ダリは亡くなったとも言われていてるので
音楽が嫌いだったことはないと思うが、
超現実主義と音楽の関係性は深くはなさそうだ。
ただ「超現実を感じさせる音楽」と言うのは
存在するような気もしている。
現実を超えた異空間をイメージさせる
メロディーや音像というものはあると思う。
特に音楽は歌詞という言語表現も内包する。
超現実的な歌詞はいくらでも存在する。
超現実的音楽について考えていこうかと思う。

地域

先日、診断士の先生方と飲んだ時、
ベテランの大大大先輩の先生達であるが
商工会議所と商工会全部言えるか〜?
とのやり取りがあった。
全部スラスラと言えて当然とのことであった。
地域を極めるとはそういうことかと思った。
我が県であれば商工会議所であれば9箇所、
商工会であれば35箇所ある。
もちろん商工会議所、商工会だけではない。
それぞれの地域の企業、金融機関など
頭に入れなくてはいけないことが一杯ある。
地域に根ざすとは当然だがそういうことだ。
正直、市町村さえスラスラ言えない状況である。
我が県のことをもっと知らなくてはと感じた。
世界経済全体がどうなっていくのか
逆に隣人が何を考え何に困っているのか
時にマクロに時にミクロに考えられるように
なっていきたいものだ。
マクロもミクロも宇宙的な広がりがあると思う。
我が存在に立脚し超現実の世界へ行く。

日本文明・にほんうんめぇ〜

オモロイ話を聞いた。
米国の政治学者のサミュエル・ハンティントン氏は
文明の衝突」という著書で
現在の世界を8つの主要文明に分類したという。
西洋文明、東方正教会文明、イスラム文明、
ヒンドゥー文明、ラテンアメリカ文明、中華文明、
アフリカ文明。
そして残る一つは日本文明らしい。
「日本文明」。
他の文明と比べると分かるが、これだけ
日本一国のみで成立している文明である。
サミュエル氏は多くの欧米人が
中国と日本を同じものとして考えているが、
全く異なる文明であることを指摘したとのこと。
我々日本人にとっては当然という感覚はある。
その経緯を書いていくと長くなってしまうので
説明はしないが日本民族は文明が異なるので
他の民族と多くの性向が異なっている。
つまりそれは経営においてもそうであり、
欧米流の経営手法(マネジメント)が
上手く機能しない理由の一つでもあるという。
日本的マネジメントが存在するわけだ。
そこを掘り下げていかずに最新の経営手法を
取り入れても効果を出せないということだ。
中小企業診断士は法的には
日本の中小企業を支援する者であるから、
中小企業経営と中小企業政策を学ぶだけでなく
日本と他国の違い、歴史、文化など
特に経営に関連するような事柄に関して
学ぶ科目があってもいいのかもしれない。
海外MBAと決定的な差別化も出来ると思う。
そこを意識して物事を考えていかねばと感じた。

独創は伝統に依拠する

「ダリとの対話」という古書を読んだ。
フランスの詩人・作家・評論家である
アラン・ボスケとの対話集である。
対話の中でダリが
「なにか独創的なものをもたらしてくれるのは
伝統だけなのだ」
「反抗に価値があったのは、
伝統を若返らせたでしかないことに気づくのだ」
と言っていた。
まさにその通りだと思う。
伝統主義者になる必要はないが、
伝統を知り理解しなくては独創などあり得ない。
論語で言うところの温故知新である。
上っ面のトレンドだけを追いかけてはいけない。
アカデミックなものを学び泥臭い実践も行う。
当たり前のことだが当たり前のことが意外と
できていないのではないかと思う。
伝統という膨大な蓄積に
呆然とすることも多々あるが
それでも原則に則り前に進むしかないのである。
独創的なものなど一人の人間が人生で一発
打てるか打てないかくらいの困難なものだ。
しかしひるんではならない。
謙虚に狂え。
ノイズ!ノイズ!ノイズノイズノイズノイズ!
ビバ人類である。
デューン

チェーンジ・ザ・サブタイトォ~ルッ

このブロギのサブタイトルは
「地方で生きる中小企業診断士の奮闘記」であった。
その文言は間違ってはいない。
しかし中小企業診断士の奮闘記と言っているのに
私は現在、企業内診断士である。
診断士活動はそこそこやっているかもしれないが
中小企業診断士として独立開業しなければ、
やはりこの文言はおこがましい。
オンメェプロコンになってから言えよ!である。
さーせん。
ただたださーせんである。
錯乱気味に分析すれば、
将来的なことは置いておいてサブタイトルは
変更するべきと思ったのである。
よし。
中小企業診断士の超現実診断士への挑戦」
サブタイトルをコレに変更する。
本題のサルバドール・エビともマッチしている。
超現実診断士って何?
愚問である。
「焼酎希望珍談士」への挑戦も迷ったが、
焼酎より日本酒が好きなため却下である。
超現実主義に基づく異次元的経営診断、
強靭的革新的提案を志そう。
そのためにはまず中小企業診断士として
基礎を固めていくことが最初のステップである。
その先は独自性が必要だ。
何より診断士は差別化が重要なのだ。
超現実診断士という高みを目指せ。

ダダをこねこねダダイズム

ダダイズムとは第一次世界大戦後に
スイスで起こり世界に広がった反芸術運動だ。
秩序、伝統、常識などを
破壊、否定する思想が根底にある。
超現実主義であるシュルレアリスム
ダダイズムから派生して出てきたものだ。
創始者であるアンドレ・ブルトン
ダダの一派であったが、
ダダイズム創始者トリスタン・ツァラ
対立しシュルレアリスムを創始した。
シュルレアリスムフロイト精神分析学に
強い影響を受けており、無意識や夢などを
重視し自動記述やデペイズマンなどの
新たな手法を産み出すこととなった。
反芸術には「既存」の存在が前提となる。
超現実はその限りではない。
超現実主義には破壊や否定の思想も
含まれる一方、創造や肯定も内包する。
どちらが優れているということはないが、
アプローチが全く異なっている。
反芸術運動から超現実主義へという話だが
似ているようで全く異なるものだということが
理解できる。
「経営」とダダイズムには親和性があると思う。
伝統と革新の狭間で揺れ動きながら
進められていくのが経営であり、
時にダダイズム的思想が必要である。
何もベンチャー企業だけが既存を破壊する
革新的なことをしているわけではない。
「経営」と「ダダイズム」を絡めて
色々と調べていくのも面白いと思う。
「経営」と「超現実」の関係性は、
ダダイズム」を調べてからの方がいいだろう。
より異次元感が強くなり、現時点では
概要が見えてこない笑。