サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

超一流の俗物道

一流と二流。
一流のなんとかはこうしている。
二流のなんとかはこうしている。
こんなキャッチフレーズを
巷で結構見かけると思う。
誰しも二流よりは一流になりたいだろう。
私は二流でいいんですとでも言いそうな
ナマケモノ師匠も超一流の哲学者である。
一流は本来何も語らないのではないか。
謙虚さと一流には相関がありそうだ。
一流二流を語るということは
ではあなたはすべからく一流なのですね?
というカウンターパンチが毎回返ってくる
非常にストレスフルな発言である気がする。
そういった状況でやはり目指すべきは
「超一流の俗物」であると思う。
その言葉は矛盾していると感じるなら
超一流の俗物道は閉ざされてしまっている。
超現実の世界ではまさしく
その道しか目の前に見えないのである。
昔、セッションという映画を観たことを
ふと思いだした。
バディ・リッチのような名ドラマーを
目指す学生と熱血教師の物語であった。
その感想を親友であるバンドドラマーに
話してみたところ見解が一致した。
「制作者はあまり音楽が好きじゃない」と。
全く同じことを感じており
やっぱりそうだよなという話になった。
これに関して冷静に端的に
詳しく説明しているサイトも見つけた。
https://ncode.syosetu.com/n5579eu/
私と親友の酒で酩酊しながらしたこの会話は
超一流の俗物的会話の一例であろう。
超一流の俗物はその後ろに隠れている
愛に気付くということか。
つまりそういうことである。