サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

究極、理由はない

目的を定めなさないと
目標を定めなさないと
巷では言われていると思う。
目的や目標を定めることが
大切なことであることは
もちろん承知している。
それらがなければ
何をどうしていけばいいか
わからないからだ。
ゴールがない地図で
右往左往するだけでは
なにも成し得ないし
無意味に時間が過ぎ去るだろう。
しかしここで一つ問題がある。
目的や目標を定めよと言われ
それを無理矢理定めた場合、
なぜそれをしたいのかと聞かれた時に
答えられない状況が発生する。
なぜ?なぜ?なぜ?と何度も何度も
聞かれた時に究極はたった一つの
ワードにたどりつくだろう。
それは「ヤりたいから」だ。
それであれば正解である。
それ以外であった場合は
何かと目的や目標に理由をつけてそれを
義務や使命に変換していることが
多いような気がしている。
使命を持つことも尊い
ヤりたいからヤってるやつも尊い
これは経営理念であろうが
個人の目標であろうがそうである。
「ヤりたいから」に帰結するものは強い。
強制されなくてもそれを続けるだろう。
なぜならヤりたいからである。
あなたは何をヤりたいのだ?
私は何をヤりたいのだ?
私はおぱぱしたい。
私はおぱぱしたい!!!
私はおぱぱしたいのだ!!!!!