サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

スカンクと放屁芸術

放屁芸術論者として大事なことを忘れていた。
スカンクという存在をどう扱うかである。
スカンクは敵を撃退するために放屁をするが
正確には肛門腺から噴出される分泌液が
とてもデンジャラスなものらしい。
放屁芸術の領域かと思いきや
肛門哲学の領域に該当するのかもしれないが
今回はまあどちらでもいいだろう。
スカンクにとっては放屁は芸術でなく
身を守る武器でありスカンク以外にとっては
凶器であるという事実をどう考えるべきか。
自衛のための放屁、それは国防について
非常に考えさせられる事例でもある。
まさに憲法改正が議論されている中
憲法のない国の軍の扱い、国防を担当する
組織すらないコスタリカのような国、
放屁芸術と肛門哲学と国防に問題提起をする
スカンクのことも含めた深い議論が
必要であることは言うまでもない。
対外的に表明していることと事実が
全く異なると言う矛盾をよしとするのか。
我々は軍を保持すると言い切るのを
よしとするのか。
どんな危険な人間がいるかわからない道を
ふんどし一丁で堂々と歩くのか。
厳重に武装して歩くのか。
我が国を守るために一生懸命汗を
かいてくれている自衛隊の皆様を
放屁扱いしていいのか。
それともそれは芸術だと言い切るのか。
この堂々巡りに一旦決着をつける時が
もうすぐ来るだろう。
スカンクは言語機能を持たないが
言語の扱いで多大な犠牲者も出てしまう
人の世はやはり恐ろしく底が見えない。
分泌液が体内で醸成されるその瞬間と
我々が恐怖を感じる瞬間はきっと
同じようなもののはずである。
恐怖を分析せよ。
人間を分析せよ。
狂気に満ちた世界よ。
世界に平和な放屁を!!!