サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

デペイズマン対ぺい~すマン

デペイズマン。
それは端的に言えば表現手法である。
シュルレアリスムの一つの技法である。
マグリットの「大家族」が有名で
わかりやすい例であろうか。
ザキヤマ信奉者である私は
ぺい~すマンとして
このデペイズマン信奉者に一言、
モノ申さなければならない。
デペイズマンを「意外な組み合わせ」と
単純に考えているようでは
その出力に対する効力は弱いものとなる。
つまり意外な組み合わせを検討し
その表現行為が「どう~意外でしょ~」とでも
声が聞こえて来そうな表現である場合は
無意味に近いほどそれは薄いのである。
例えば思いつくままに言えば
上半身が人で下半身が何らかの動物である
表現があったとする。
お皿に置いてあるリンゴがたとえば月に
なっている表現があったとする。
それは意外な組み合わせを考えただけであり
はっきり言えばAIでもできる技である。
しかし例えば時計が溶けるという表現は違う。
時間という概念が溶けるというメッセージ性は
何らかの暗示をしている(のかもしれない)と
思わせる非常に強い何かがあるだろう。
デペイズマンとは本来そうあるべきだ。
意外な組み合わせを考えることだけに
躍起になっていることは
自己の感覚器官に対する集中と
深い物事へ洞察の放棄を意味している。
ぺい~すマンであるザキヤマ神が
どれだけ瞬間的に思考を巡らせているか
画面にかじりついて見てみるといい。
ただのテキトー男ではないのだ。
お笑いも高度なデペイズマンなのではないか。
いやはや恐るべしである。