サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

ギタリスティック・トロピカ~ナ

私は英国のBilly Childish先生に
多大な影響を受けている。
楽家であり、画家であり、詩人であり
作家であり非常に多彩な人間だ。
何が本業かわからないが
ビリーの音楽はガレージロックど真ん中であり
世界中に熱狂的なファンがいる。
ビリーのギターははっきり言って
ぶち壊れてしまっている。
すっとんきょうであり
え、それでいいんですか!?的な
唯一無二のギターを弾いている。
10代の頃、そんなんでいいなら
多分オラもできると思い曲づくりを始めた。
そんなキッズが世界中に
うじゃうじゃいるのかもしれない。
ビリー先生は何も浮かばないなら
サカサマにしてそれがアートだろうが
ケツの穴だろうが世に放っちまえばいいと
言っており、まあ創作物なんて
そんなものだろうという
見解は今でも変わっていない。
もう一人多大な影響を受けた人物は
ミッシェルガンエレファントの
ギタリスト故アベフトシである。
アベ氏がこの世にいないという現実が
まだ信じられないが彼のギターは
妥協を許さぬサムライのようで凄かった。
ソロをピロピロ弾かず
カッティングギターでゴリ押しする
スタイルはそれもまた唯一無二だった。
英国のギタリスト、ミック・グリーンと
ウィルコ・ジョンソンのギタープレイを
さらに狂暴にしたような彼のギターを
もう聴けないのは本当に残念だ。
しかし硬派なガレージロックスタイルの
ギターだけが私を呼んでいるわけではない。
コンゴコンゴ!!コンゴ!!!
トロピカルギターカンダボンゴマン!!!
ビリビリのカッティングギターに
トロピカ~ナをぶちまけたい!
その衝動を抑えることはできないのだ!
トロピカルブロークンカッティングギターが
脳内iTunesでリピートされる時
Madman in Tochigiの刻印が
音波に刻まれるだろう。

空飛ぶ回遊魚

目的もないのに追い詰めるから
無理が来てしまうことを後で悟っても
着陸態勢なんかとらないで。
飛行して100年。
着陸する時は胴体そのまま滑らせる。
皮膚は熱いかもしれない。
それよりハートの熱さが勝るのだ。
着陸したらそのまま離陸の滑走路へ。
飛行することが休息であり
私は空飛ぶ回遊魚なのである。
飛行しながら所有する全ての書籍を
バラバラにして地上へ放り投げる。
バラバラになった紙片に書いてある
文字を飛び飛びに読みながら
そのストーリーに涙腺を崩壊させる。
書籍と書籍が繋がって
めくるめくの世界がまた広がって
所詮書籍なんてものはそんなもので
私はより太陽に近い状態にある。
鳥たちが私についてくる。
アイコンタクトで行き先を決める。
空気が地上のように感じられて
そう結局飛行というものも
そんなものなのだ。
我々の勘違いをひっくるめて
マグマの上をぐるぐる回る。
手っ取り早い消去に戸惑いながらも
己の生命の鼓動を感じる限界まで
低空飛行をする。

法人税等の存在しない決算報告書

損益計算書の利益計算は
まずは売上総利益が計算され
その次に営業利益、次に経常利益、
さらに税引前当期純利益が来て
最後に当期純利益が計算される。
税引前当期純利益から法人税等の
勘定科目で法人税等が引かれて
算出されるのが通常である。
法人税等」が存在しない決算書に出くわした。
税引前当期純利益当期純利益
完全にイコールなのである。
繰越欠損金が存在して所得が
発生しない場合でも法人は均等割があり
所得が発生しない場合でも一定額を
納めなければならないから
法人税等の科目は必ず存在するはずである。
おそらくではあるが租税公課の勘定科目に
全て入れて計算しているのかもしれない。
つまり販売費及び一般管理費
入ってしまっているということだ。
税務上正しい金額を納めていればOKでしょと
もしかしたら税理士の先生が考えて会計処理を
進めているのかもしれないが
診断をする側の立場だとその他のことを含め
決算報告書の妥当性がちょっと心配になる。
数字を見て診断するわけだから
判断が大きく変わることもあるだろう。
会計の恐いところでもある。


一夫一妻制の恐怖

日本は現在一夫一妻制である。
歴史的に見れば明治時代に
一夫多妻制から一夫一妻制に移行した。
キリスト教の影響を受けていると言われる。
平成から令和へ。
国民のお祝いモードというか
日本のエネルギーの盛り上がりを
こうして目の当たりにすると
皇室が永久に存続していくことを
願う気持ちは強くなるばかりである。
しかし今後の皇位継承について
考えると非常に心配だと言わざるを得ない。
今のまま放っておけば
現在の体制でやっていくならば
将来、皇位継承者がいなくなるケースは
どう考えても確率的には高い状態である。
その確率を限りなく小さくするためには
側室制度を復活させるか
皇籍を離脱した旧宮家を復活させるかが
有効な手段になると考えられる。
近代国家として側室制度を認めるのか?と
騒ぐ人もいるだろう。
一度、一般国民になった人々を
再び皇室に戻すことに対して
騒ぐ人もいるだろう。
大きな大きな課題である。
超長期的な視点で日本の未来を見据えて
事前に制度を整えておかなかったことは
非常に悔やまれる。
日本は日本のやり方で
西洋文化にまみれることなく
独自の理論をもって
国体を維持しなくてはいけない。
このことに関しては素人なので
研究していきたいところだ。

暴動ロールケーキ

暴動が起きていると。
直視できない暗闇の中で
どう安全を確保するかを
得た知識を血眼になって
活かそうとするが何も考えられず
今までは何だったのかと。
考える暇もなく
逃げるが勝ちとは言ったもんだ。
いたるところが燃えている。
ああ一体どうしてしまったのか。
介入を許してしまったあの時が
やはり起点だったんだと。
そうは言ってももう手遅れ。
国を捨てることなんてできないが
この場にいることもできないのだ。
移動手段のキャパシティが
あれよあれよと埋まっていき
取り残された人々は
混乱の渦に巻き込まれる。
麦酒片手に笑いあったあの時に
もう戻れないのか。
そんなことはない。
月日が過ぎれば収斂するのが
またサダメでもある。
諸行無常という羽をつけて
辺りを飛んでみるといい。
人間を変えようとなんて
思ってはいけない。
ロールケーキのように
ぐるぐる巻きにして
真ん中はやっぱりドーナツの方が
人間らしくていいじゃないか。

アリクイとナマケモノ

アリクイは一日30,000匹のアリを捕食するらしい。
一年で10,950,000匹のアリを喰うということか。
アリだけで生命を維持しているなんて
生態的にかなりトがっている。
あのなんとも言えないフォルムも不思議だ。
ダリセンセはアリクイを飼っていた。
ダリにとってアリは「死」を象徴する。
「死」の象徴を大量捕食する動物であることに
惹かれアリクイを飼うことにしたのだろうか。
私はナマケモノが好きだ。
彼らもかなりトがっている。
一日に20時間寝ているらしい。
一日8グラムだけ植物を食べるだけで
生きていけるらしい。
そして一週間に一回木を降りて排泄をする。
その時、他の動物に狙われる。
しかしナマケモノは超スローでしか
動けないなので襲われたら諦めるらしい笑。
それでも今まで絶滅せずに
生存してきているわけだから
彼らの戦略は成功しているわけである。
あらゆる生命体は生存競争に勝つために
色んな戦略をとっているということだ。
それが各生物の違いとなっている。
多様性である。
色々な動物の生態を調べることは
様々なインスピレーションを
与えてくれるかもしれない。
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位置について、用意、ドン・コルレオ~ネ

いちについて、よーい、どん!は
位置について、用意、どん!らしい。
位置はまだしも、よーいが用意だったとは
まさに用意周到と対極の世界に住んでいる
超現実主義者にとっては晴天の霹靂であり
今までよーいをただの掛け声だと
信じていた私は身に染みた多神教的アプローチで
またそれを飲み込まなければならないのだ。
子どもが位置について、用意、ドーナッツ!と
言っていた。
それは何だいと聞くと
ドーナッツだからスタートしてはいけないと。
なるほど。
それなら位置について、用意、
ドン・コルレオ~ネ!でいいではないか。
どん!と最初に言ってしまっているので
子ども達は全力でゴールまで
走って行ってしまうだろう。
ゴールにはドン・コルレオ~ネが待っている。
心配することはない。
我々に危害など加えたりしない。
ドン・コルレオ~ネは一般市民の家族の絆を
感じその光景に微笑を浮かべるだろう。
それと同時に背負った宿命を
改めて腹の中で感じるのである。
まず「位置」につかねばならない。
位置の定義がブレるならば
「用意」をしてもムダである。
あなたはドンになれない。
つまりそういうことなのだ。