サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

ナマハゲの真髄

多くの日本人は「ナマハゲ」のことを
勘違いしているかもしれない。
男鹿半島の民俗行事であるナマハゲは
晦日に行われる。
晦日であると知らない人は
多いのではないだろうか。
「悪い子はいねがー」
「怠け者はいねがー」と
子どもを泣かせているナマハゲは
「鬼」だと思っていないだろうか。
ナマハゲは「神」である。
実際は来訪神、訪れ神である。
そしてナマハゲの真髄は
子どもを泣かせることではない。
連れて行かれそうになった子どもを
親が引き止め抱きしめてやることが
その真髄である。
親子の絆、家族の絆を改めて
感じることがその真髄である。
ナマハゲは福をもたらす。
さらにナマハゲは地区ごとに顔が違う。
それぞれの地区でオリジナルのお面を
製作しているので我々がイメージする
お面は石川面と呼ばれる面彫師の
職人さんが彫ったものである。
ナマハゲ面彫師は一人しかいない。
従って行政などのPRで出てくるお面は
石川さんのお面ということになる。
知っているようで何も知らないことが
この世にはたくさんあるのだ。
取材に行かなければ知らぬまま
あの世に行っていたかもしれない。
奥深き奥深き世の中である。

診る書く話す

珍談士の仕事は「診る書く話す」と
良く言われているが
MONO HOJO WORKINGは
まさに診る書く話すであると感じる。
経営者と話して、「話す」というよりかは
「聞く」かもしれないが
ヒアリングをして企業や事業を「診て」
申請書を「書く」という
全てのプロセスが含まれている。
​限られた時間の中で頭をフル回転させて
成果を出さないといけない。
正攻法というか型みたいなものを
意識して取り組んでいかないと
いけない事案でもある。
どこまで診るべきなのか
どこまで話す(聞く)べきなのか
どこまで書くべきなのか。
答えのない世界ではあるので
逆にやりがいはある。
そして補助金抜きにして
その企業の将来を見据えて
どうしていくべきかを考えて
提案することができれば一人前なのだろう。
私はまだそのレベルではない。
漏れなく書くべきことを書くのに必死だ。
診ることも足りていない。
話すこともだ。
オーマイガッツ!

アナログの模倣たるデジタル

敬愛するビリーセンセは
デジタルはアナログのマテリアルを
根こそぎ破壊しておいて
アナログに成り代ろうとしている。
すべてアナログの模倣にすぎないのに。
デジタルは良い面もあるが
道具に過ぎないと言っている。
デジタルから感じる薄ら寒さを
端的に言い表していると思う。
神性さえも感じるアナログの世界を
横目にデジタルのみの世界に没頭するのは
何とももったいないことである。
経営も芸術もデジタルの領域が
思いっきり入り込んで来ており
いわゆる大変革が起こっているのは
言うまでもない。
しかしアナログをないがしろにしていると
アナログに逆襲されるだろう。
いびつな美しさを感じるべきである。
いびつな美しさを感じながら
デジタル・ライスを食べよう。
そして急に腹痛が!
バーチャル・レストルームで
用を足したらエライことに!
ああアナログが恋しい。
私の体はアナログだから。
米粒を!
米粒を!
咀嚼を!咀嚼を!
米粒を感じさせてくれ!!

筆頭株主なのに平社員

トーキョーマスターコースの事業承継の課題で
社長の長男に自社株を贈与し
承継を行うという事例があった。
長女の夫もその企業で働いており
その処遇をどうするかということで議論になった。
年上でもある長女の夫の処遇が適切でないと
やる気がなくなってしまったり
最悪辞めてしまうことにもなる。
本人の意向にも沿った適切な処遇を
考えることは重要である。
課題であるのでその人の人となりが
不明なのでいくらでも案は出せるのだが
通常であれば長男の片腕として
将来的に副社長やら専務やら常務やら
その辺りの重要ポストを担っていただくのが
妥当な案であろう。
超現実的に考えればまた別の案が浮かんでくる。
長女の夫は社長にしてしまうべきである。
そして自社株を贈与された社長長男は
平社員に降格である。
筆頭株主平社員として
その超現実的なポジションでいかんなく
実力を発揮していただきたい。
お望みであれば筆頭株主バイトとして
リスタートしていただいても結構だ。
筆頭株主平社員である長男は
社長になった長女の夫に罵倒される。
「君は何をやっているんだ!!!」
「すいません。すいません。すいません」
すいませんしか言わない長男。
「俺は筆頭株主なんだぞ…」
そんなことは絶対口に出してはいけない。
男とは美学なのである。
美学なき男は筆頭株主平社員として
成功をおさめることは到底できない。
頑張れ長男!

宇都宮仕置

我が国で初めて天下統一を成し遂げた人物。
それは織田信長ではない。
徳川家康でもない。
農民出身の豊臣秀吉である。
秀吉は小田原の北条氏を討伐した後
宇都宮城に行き天下統一の最後の仕上げとして
奥州大名等の処遇を決めた。
これを「宇都宮仕置」という。
私が学生の時はこのことを習わなかった。
今はわからないが中学生レベルなら
おそらく習わないだろう。
自分の地元でそんな重要なイベントが
あったことをちょっと前まで知らなかった。
天下統一最後の仕上げだなんて
なんともたまらないワードである。
もしかしてこの地で天下統一が決まったのか?と
思い調べたがそれは違うようだ。
最後は伊達政宗を連れて「奥州仕置」を行い
それで天下統一が実現された。
つまり宇都宮の地で天下統一が
決まったわけではないのである。
惜しい!
実に惜しい!!
天下統一が確定した場所であれば
それを用いて何かしらの企画や
観光地としてのアクションができただろうに!
コレは泣きながらギョーザを喰い散らかし
ビールを浴びるしかない事案である。
カクテルをシェイク!シェイク!
劇的にノイジーアバンギャルド・ジャズで
秀吉に代わってお仕置きよ!!

国体

平成から令和へ。
「国体」を感じる日々である。
天皇の存在があるおかげで
日本人は国家として一体となれる。
これは国際的に見ても
大きな強みであると思う。
昭和の時代に世界有数の経済大国に
日本は発展した。
平成の時代には人口がピークを迎えた。
令和の時代はそれらの観点から
見るとどうだろう。
経済は先進国として
リードしてきた立場から発展が著しい
他国に追い抜かれそうな状況になっている。
人口は超高齢化・少子化が進み
減少する一方である。
これからが日本の底力を
見せる時であろう。
ふにゃふにゃしてんじゃねえ!
ゲームばっかやってんじゃねえ!
グラウンド50周!
走りながら物理学の参考書を読め!
経営的論理思考を働かせながら
国体を維持するためにも
エロティシズムについても考えろ!
アニミズムそのものである土に
感謝しながらグラウンドさらに50周!
ああ、天晴。
我が国はそんなやわなものではないのだ。
この国に生まれて良かった。

不便利さという心地良さ

トーキョー診断士協会マスターコースの
国際化の講義に参加した。
国際化と言えども色々なテーマがある。
輸出、海外に拠点を設ける海外展開、
そして日本に来訪する外国人に向けた
ビジネスも国際化の範疇である。
国際化と言えども日本に訪れる外国人の
75%は中国、台湾、香港、韓国からの
来訪者である。
例えば飲食店が英語表記のメニューを
用意するよりも実際は英語より
中国語があった方が助かる人が
多いかもしれないのである。
私も業務で展示会のパネルを準備する時に
英語、中国語を併記して用意する時もある。
本当は韓国語も必要なのかもしれない。
講義の肝は全方位に対応せず
的を絞れということだった。
特に経営資源の限られる中小企業は
そのようにした方が得策である。
そしてもう一つ興味深いなと思ったことは
いくら中国人の観光客が
増えてきたからと言って
例えばお店の対応をする店員を
中国人の方にお任せすると
逆に顧客の満足度が下がることもあると
言うことである。
言葉はスムーズに通じないが
それでも一生懸命に対応してくれる日本人の
おもてなしを期待されていることもある。
「なんだよ自分の国で買い物しているのと
同じじゃん」と思われたら
スペシャル感もないし異国情緒もない。
異国に行ったのにゴリゴリの日本語で
対応されたら確かにん~となりそうである。
不便利さの心地良さというものもあるのだ。
つまり超現実的接客も
存在していいことになる。
お金をいただいたらまずコインを飲み込む。
そしてタコみたいな口にしてコインを唇に
密着させ口笛みたいに息を吹く。
そうすると越天楽のようなサウンド
鳴り響き顧客は散財に快楽を覚える。
そしてお札は渡されたら
歓喜の声を上げてその場を駆けずり回ろう。
自由経済万歳!と言って
払うぜ血税!と高らかに同時に宣言する。
その体験は顧客の頭にこびりつき
悪夢のようにループするがそれがしだいに
心地良さに変わるから不思議である。