サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

執筆と公開のズレ

知る人ぞ知る事実であるが
この超現実珍談集サルバドール・ヱビは
執筆日と公開日がかなりズレている。
バチバチ打ってハイ公開!ではないのだ。
複数本記事がストックされており
順に公開されているのである。
つまり私にとっては
一週間以上前の己の戯言であり
オヌシまだそんなことを
言っているのか!状態なのである。
ここ最近着想が止まらなくなっており
記事のストックがさらに増えそうだ。
着想が止まらないのは
冬に入りつつあるからだろう。
冬の張り詰めた空気は
切なさを助長し感傷的な気分にさせる。
20年前の感覚が1ミリも変わらず
ずっと続いていることは
何を意味するのだろう?
感傷は創造の根源の一つであろうが
その感覚を楽しめるものでもない。
正直なかなかしんどい。
珍談マニアの皆様が珍談の洪水に
溺れてしまわないように
1日1記事にして必死にせき止めている。
仮に1ヶ月分記事が溜まってしまったら
どうするべきか。
出来たらすぐに発射したいのが男のSAGA。
精神衛生上1日1回発射では支障が出る。
記事が溜まりすぎたら
計画放流すべきなのだ。
ストックはあっても3〜5くらいで
充分のような気もする。
今後1日複数記事が発射されていても
読んでくれたらアザマスである。

年内最後のリジリドゥミーティング

所属中小企業診断士会の
年内最後の理事会に出席した。
今回はあるホテルへと向かった。
こんな鼻垂れ小僧の私が
中小企業診断士協会の理事になって
どうするんやと思いつつも
理事を拝命して
半年くらい経過しただろうか。
他の理事の先生方は
全員独立診断士である。
中小企業診断士業一本の先生、
他の士業とダブルライセンスで
お仕事をされている先生、
経営コンサルティング会社で
社員を雇い経営されている先生、
中小企業診断士業をやりながら
自分で別の事業も経営している先生など
実に多様な診断士の在り方、
生き方があることが伺える。
そして私は唯一の企業内診断士である。
言うたらただのリーマンである。
しかし少しずつ状況は変化しつつある。
もう時間の問題なので言ってしまおう。
私はあるメンバーの方々と
新規事業を構想している。
構想から数ヶ月が経ち実行の段階に
入りつつあるところだ。
端的に言えば新会社が立ち上がるのだ。
私が今後どういう活動をしていくかは
いくつかのパティーンが考えられる。
1リーマン一本(診断士も新事業も撤退)
2リーマン×診断士(新事業撤退)
3リーマン×診断士×新事業(全部やる)
4診断士×新事業(リーマン引退)
5新事業(リーマン×診断士引退)
もちろん勤務先がお前気が狂ってんのか?
消え失せろ!と言ったらそれまでだが
私は現在の勤務先に恨みなどはなく笑
むしろ逆にユニークで実に面白い
企業だと純粋に思っており貢献意欲はある。
一旦勤務先の意向抜きで考えてみる。
この中で可能性が限りなくゼロなのが
1である。
2も新事業は私の創造性の発揮を
求められる場であり却下はあり得ない。
3はどうか。
はっきり言ってカラダがもたないだろう。
意外かもしれないがサルバドール・ヱビは
家族との時間が取れなくなると
発狂しそうになるダリ的な人間である笑。
永久には続けられないだろう。
5はそれだけだとリスクがある。
化ければナシでもないことだが。
と考えるとやはり4になるであろうか。
ある重鎮の診断士の先生が忘年会で
私にこうおっしゃった。
今の勤め先の経営者にも
その企業の未来が切り開けるような
大きな提案をしてみなさいと。
ソレをやるかはわからないが
私の強みである戦略性と創造性を
どこまでもトがらせていく生き方を
選ぶべきなのは言うても言うまでもない。
私は企業内診断士唯一の理事として
このまま納まっている場合ではない。
唯一の超現実珍談士理事として
また狂人芸術家珍談士として
その名を馳せるために
私は命を燃やさねばなるまい!

逆噴射

帰路の夜の航空機。
右の窓を見るとたった一つの満月が見える。
左の窓を見ると数百万の都市の光が見える。
こんな風景が見えるシチュヱーションで
産まれながらの超現実的詩人にとって
脳内で詩を書くことは
いとも簡単なことであるが
同時に産まれながらのダダイストである
私は心を鬼にしてアマノジャクとなる。
言葉を交わした人々の顔が次々に浮かぶ。
今後言葉を交わすであろう人々の顔も
次々に浮かんでくる。
疲れ切った私はそれを拒否する。
3人の顔だけを浮かべる。
全ての残像をかき消すために。
そして意識を変移させるために
これから体感する
着陸時の逆噴射のことを考え始める。
噴射より逆噴射が好きだ。
逆噴射はまるで
チャーハンのスープのようだ。
スープの君が主役だよ。
そう。
チャーハンのスープを逆噴射するのだ。
あの美しい満月にも
数百万の光を放つあの都市にも
微笑みかけるキャビンアテンダントにも
チャーハンのスープを逆噴射するのだ。
人間が元々狂っていることなんて
わかってたことじゃないか。
テクノロジーが可視化してしまっただけだ。
おぞましい世界を必要としない私は
ただただ運が良かったのだ。
感謝のチモキと謙虚さを胸に秘めながら
着陸態勢のアナウンスを
人生の離陸態勢を取れと解釈しよう。

ミスターセンクスの斜め後ろに座った美女

サルバドール・ヱビと
ミスターセンクス氏は飛行機に乗った。
センクス氏は前のB席に
私はその後ろのB席に座った。
センクス氏の両隣の席は空いていた。
満席だったのでこれから
彼の両隣に人が来るはずである。
私は美女専門家であるセンクス氏に
こう言った。
「美女が両隣に来るとイイね」と。
そう言うと一人の女性が歩いて来た。
さすがセンクス氏!
今日も魔力が効いていると思い
その女性を横目で見ていると
センクス氏の列を通り越して
女性は私の横に座ったのだった。
不意を突かれた私は危うく
心臓発作を起こすところであった。
冷静さを取り戻すとセンクス氏の
両隣におっさんが座っているという
にわかに信じがたい現実が
目に飛び込んできたのだった笑。
マジマジと見ていないので美女なのか
よくわからないがおっさんが隣に座るより
精神的身体的ダメージが少ないので
私は心の中でセンクスと呟いたのであった。
逆に考えればその女性にとっては隣に
サルバドール・オジが座っているので
精神的身体的ダメージを与えている
可能性があるということは
あまり深く考えないようにしようと思った。
距離とはなんなのだろう?
わずか数センチの距離にこの美女と私は
存在しているが物理的でない観点では
10万キロもの距離が離れている。
男女というものは距離が近づいていく。
最終的にゼロを超えて
その距離はマイナスになる。
マイナスになる時は二つある。
舌を使う時とドッキングする時だ。
そして人類存在の時間軸という距離を
延長させていくのだ。
脳内でMOTTO MOTTOと
思考の暴走が始まったが、
私は同時に並行して
何食わぬ顔をして話題の哲学書
「なぜ世界は存在しないのか」を読む。
世界は存在しないらしい。
着陸と同時に読了したので
私は目の前に座るセンクス氏にその本を
「コレ貸すよ」と言ってポンと渡した。
隣に座る美女が立ち上がった。
唇の色がとてつもなく紅かった。
その色が目に焼き付いてしまったのは
言うても言うまでもない。

遺伝子にロックンロールを

四国へ出張した。
咳が止まらず鼻水も止まらず
悪寒がする中でビジネスホテルのベッドに
私は倒れ込んだ。
まさに死国である。
途中目が覚めてしまい暗闇の中
気を紛らわせるためにスマポを開いた。
興味深い記事があった。
利己的な遺伝子」という著名な本が
あるようで生物は遺伝子の乗り物であると
主張するものらしい。
生物は遺伝子を残すために
プログラミングされていると。
自分の複製をつくることが使命であり
複製をつくるには
ヒトは相手が必要なわけでその相手が
良い遺伝子なのかダメな遺伝子かを
判断する必要がある。
ここで問題なのは遺伝子は
目に見えるものではないということだ。
ヒトというか生物はその判断基準として
その生物が多数から良いものだと
判断されていることも自身が判断する
一つの基準としているらしい。
つまり話を飛躍させると
例えばアイドルに多くが発狂するのは
皆がステキ!と言って
その価値が上昇しているからなのである。
つまり単純化し確率論的に考えれば
露出が増えれば増えるほどその遺伝子は
人気が出るということである。
誰の遺伝子を残すか考えるということを
ちらっとぶらっと耳にしたこともあり
本当にそうなのかと私はワイッフに
単刀直入に聞いてみた。
ワイッフはこう言った。
「いや、そんなこと考えないよ」と。
しかし理由などなく生理的に
ムリということはあるらしい。
それがつまり遺伝子の選択を無意識に
行っていることなのかもしれないが
私の結論はロックンロールの一言で
全てをすましてしまえということである。
我々は乗り物ではない。
ロックンロ~ルと発することができる
生命体なのである。
鼻からおぱぱ水を出し遺伝子をおぱぱしよう。
遺伝子にロックンロールを!

体調不良不良隊長

体調不良の不良の隊長は
体調が悪い事がバレないように
歯を食いしばらなければならない。
ちゅうわけで不良感がまるでない
私ではあるが風邪など引いてる場合では
ないと言いつつ風邪を引いてしまった。
両方とも鼻詰まりしているため
口呼吸せざるを得ず寝ていたが
咳も止まらないので
その内呼吸がおかしくなり
のたうち回ったわけである。
何ということだ。
あまりにも苦しかったので
上半身を起こしたり鼻をかんだりで
一向に眠れない。
どうにか気を紛らわせようと
スマポを手に持ち
トレンディなスーニュの記事を読む。
国民的アイドルが結婚を発表をし
ロスが起きているということだ。
一ノ宮二ノ宮三ノ宮!
私は何ノ宮なのだ!?
宇都宮のダメポ代表である私は
アイドルと放屁芸術を論じる力もなく
のたうち回るしかなかった。
アイドルとは不思議なものだ。
アイドルと聞くと瞬間的に逆説的に
放屁というワードが浮かんでしまう
この思考回路は
なんとかならぬものだろうか。
いやそれこそ正常なのだ。
幻想は美化されてはならない。
より現実的に醜態化されなれけばならぬ。
美しさの本当の意味を吟味せよ。
考えてみてほしい。
本当の美しさは放屁の中にあるのだ。
愛する人が放屁したら
その放屁の中で君達が想定する
アイドルが笑っているのだよ。
つまりそういうことである。
君のアイドルが笑いかけながら
放屁しているこの世界で
生々しき人間存在を露わにする
真実の性的交渉が逆説的に
求められているということなのである。

オッリジナルメンヴァーッはいずこ!?

バンドっちゅうもんは
複数人で結成するもんである。
ボーカルがいるバンドである場合
ボーカルが替わるバンドってのも
たまに存在する。
声というものは上手い下手は抜きにして
その人の声はモノマネ芸人でもない限り
同じ声は出せないので
やはりボーカルが替わるバンドと言うのは
同じバンドなのか?という
疑念が湧いてしまうのは
仕方がないのかもしれない。
私が知っているところでは
英国のパブロックバンドの雄、
ドクターフィールグッドというバンドは
70年代結成当時のオリジナルメンバーが
一人もいなくなりながらも現在も
ドクターフィールグッドで活動している。
フィールグッドと言われて
皆が真っ先に思い浮かべるであろう
ボーカルのリー・ブリローは天国に行き
ギタリストのウィルコ・ジョンソン
初期の頃しかいなかった。
なんとも不思議な話である。
コレが企業なら話はわかる。
創業当時のメンバーが全員いないことは
普通にあり得ることである。
バンドはどうなんだろう?
声であれ、楽器であれそれぞれの個性と
その個性の絡み合いで
バンドは成立している。
その意味で企業はどうしても
没個性的にならざるを得ない。
私はメンバーが入れ替わりしまくる
バンドというのはあまり好きではない。
だったら軸になっている人間の名前を取り
ナントカ&ナントカーズでイイと思う。
例えばSalvador Evi & The Othersとか。
このThe Othersの冷たい感じが
なんとも言えぬ笑。
The Others(他)の皆さんで~す!と
紹介されるのだ。
その点SPECIAL OTHERS
排他的でなくイイネーミングである。
バンド名というのもイロイロあって面白い。
何だかスイッチが入ってしまいそうなので
この辺でドロンパさせていただく。
ニンッ!!!!!