サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

サルバドール・ヱビ

このブログのタイトルは
「サルバドール・エビ」である。
副題は当初のものから2回変わり
現在は「超現実珍談集」となっている。
タイトルである「サルバドール・エビ」を
「サルバドール・ヱビ」に変更しようか
迷っている自分がいる。
なぜそのように変更したいか。
「ヱ」のクイッと曲がっている部分が
実に海老っぽいからだ!
ダリは黒電話にロブスターをのっけた
オブジェを創作している。
その名はロブスターテレフォン。
https://www.tate.org.uk/art/artworks/dali-lobster-telephone-t03257
なぜダリはそのようなオブジェをつくったか。
レストランでロブスターを注文した時に
茹でられた電話が出てこない理由を
知りたかったからだ!!
なるほど。
つまり「ヱ」は
ロブスターテレフォンだったのだ!
クイッと曲がった海老。
クイクイクイクイクイッ。
クイクイ言っていたら
イっちゃっう人みたいに
なってしまったではないか!
イっちゃうのではない。
私はイってるのだ!
カタカナのヱは私の漢字の惠から
できているらしい。
やはり「ヱ」が正解なのだ。
「恵」ではない。
「惠」である!!!
アイツヤバそうだなんて
「恵美須丈史」でコソッと検索しても
何も出てこないだろう。
「惠美須丈史」で検索せよっ!
私を見つけてしまったら
時すでにお寿司である。
その人は生涯、私におぱぱされ続ける。
時すでにお寿司は感謝法人代表の狂人
ミスターセンクス氏の名言である。
私はここにおるゾ!!!

指の官能性と唾液の中を泳ぐオタマジャクシ

テクノロジーと欲望の交差点で
信号無視をしたまま
狂人が実は最も常人であることを
私は悟った。
アカペラジャムセッションという
新しい音楽を始める前に
飲み過ぎアラートアプリの
ダウンロードをオススメする。
邪念と創造性についての相関性に
うすうす気づいてはいながら
本当は何も考えない方法を
私は知りたいと思っている。
いつだって欲望にまみれて
指の官能性でさえ振り払えずに
日々を過ごしている。
現代音楽で涙して気を紛らわしたら
雇用しない経営の研究をするんだ。
その次に「体調」と「芸術」に関して
咳き込みながら内省し始める。
我が国の神話への親和性の著しさに
安堵して私は神社へ参拝する。
ストックかフローか。
そのような激論の終着地点は
アンタはフローなあの子をストック出来るか?
という問いに行きつくことになるだろう。
情報システムはもう限界。
ナマケモノ動作に憧れた私は
家でナマケモノ訓練を行う。
手書きで何かを
書いているペンを持つ指を見て
極度の官能性を感じ唾液をかける。
唾液で濡れた衣服から官能性を
感じることに意識をシフトする。
いつものごとく本能の嵐が過ぎ去り
唾液の中を泳ぐオタマジャクシを見る。
その繰り返す狂気性に私は繰り返し涙する。

皇后陛下の涙

皇后陛下の涙を見た。
以前記述したことがあるが
サミュエル・ハンチントン氏は
世界に存在する文明を8つに分類した。
日本は何の文明に所属しているかと言うと
「日本文明」に属していると結論している。
ネーミングを見れば明白だが
日本という国単独で
成立している文明である。
日本以外にはそんな文明は存在していない。
他の文明は複数の国で成立している。
正月は神社に初詣に行き、結婚式を教会でやり
お葬式でお坊さんがお経を唱える国は
日本以外はありえない。
外国人からすると
日本人どうかしちゃったと思うらしい。
しかし我々にとってそれは当たり前である。
多神教国家であり
一神教国家ではないからだ。
そして世界に類がないのは
天皇という存在である。
天皇は日本という国が成立してから
ずっと最高権威として君臨してきた。
天皇という存在で我々日本人は
一つになれるのである。
パレードなどを見て諸外国は驚くだろう。
日本はアジアの先進国で
自由主義の国ではないのか?と。
自由主義かつエンペラーがいる
自由と歴史と伝統を合わせ持つ国を
羨む国はたくさんあるだろう。
どうにかして日本のその唯一無二の存在感を
打ち消したいと企む人間もいるだろう。
こんな私でもそんなことはわかる。
教育でこれらの重要性について
何も語られないのは
何者かの画策である可能性がある。
であるなら我々は主体的にこの国の成り立ち、
歴史の重み、守るべきものを
学んでいかなければならないということだ。
学べばすぐに重要性を理解できるだろう。
そういった事実がそこら中に
存在しているのだから。

経営者反応ブルウィップ効果

ブルウィップ効果とは
川下の需要変動が川上に行くほど
増幅していく効果である。
売店が売れそうと思いあるものを
追加で発注したところ商流を辿る内に
ガンガン注文が来るぞ!と思い込んで
供給者に注文が届くときには
とんでもない数量の注文になってしまう
現象のことである。
それと同じような現象として
サルバドール・エビ理論として
「経営者反応ブルウィップ効果」が
存在していることをここで論じよう。
企業が大きくなればなるほど
この理論の効果は大きくなる。
経営者の反応が末端に届く時には
とんでもなく大きな話になっているという
現象のことである。
企業人であればあるあるではないだろうか。
経営者の取り巻きというのは
経営者しか見てないケースも多い。
その企業に依存してしまっているから
経営者の言うことは何でもハイハイ
ご機嫌を取るためだけに動く
管理職というのはそこら中に
うじゃうじゃいるだろう。
そういうことで悩んでいる人間は
もっと俯瞰的に物事を見よう。
そういう人間は会社にすがるしかないのだ。
管理職は死語にすらなる可能性がある。
今後は副業ならぬ「複業」が当たり前の
世の中になるだろう。
つまり「経営者」が規模の大小を
抜きにして増えていくのだ。
経営者目線で物事を考えられるように
今の内に訓練して最終的にはあなたも
その領域に立てばいいだけなのである。
サラリーマン根性はおぱぱされる。
年月が過ぎるにつれ
経営者ブルウィップ効果は
弱くなっていくだろう。
安心したまえ!!!

哲学・科学・宗教・芸術の統合に関して

哲学・科学・宗教・芸術。
これらの4つの領域は人間にとって
重大な意味を持つ領域である。
信奉者という言葉には
科学と宗教がマッチする趣がある。
ご存知のように人類史における
科学の影響力は増大しつつある。
最早この惑星を破壊し尽くしてしまう程の
影響力を持つようになった。
かと言って科学が哲学・宗教・芸術を
飲み込んでしまった状況にはなっていない。
これらの領域はやがて
一つに統合されるのだろうか。
私の考える仮説として

それは最先端の科学を知らないので
すでに証明されているのかはわからないが
科学は哲学・宗教・芸術を
飲み込むことができないことが
科学により証明される可能性が
あるのではないかと直感している。
哲学的考察から始まり
科学自身により統合が否定され
最終的に芸術に調理されるだろう。
そういった意味で全方向性というものが
人間存在として重要なのである。
どの領域にも偏っていない、
いや全領域に全身を突っ込んでいる状態が
人間存在として理想的なのである。
哲学を否定してはいけない。
科学を否定してはいけない。
宗教を否定してはいけない。
芸術を否定してはいけない。
おぱぱへいを否定してはいけないのだ!
今ここに皇帝おぱぱの誕生を宣言する!
皇帝おぱぱ万歳!!!!!!!
エンペラーオパパ!!!
万歳!!!!!!!

DEAI DE AI

出会いでAI。
アカペラインプロビゼーション
これを論じよう。
テクノロジーによって
セックスはインスタントラーメン化した。
「運命」というものは引きちぎられ
無残に道に転がっているのだ。
クルマを走らせよう。
運命という惨殺死体がそこら中に
転がっているぞ!
こんな有様を誰が予想しただろう。
姫達はそれでも王子を待ち続ける。
妄想にまみれながら
インスタントラーメンをすすり
インスタントセックスのことばかり
ひたすら考え続けるケダモノしかいない
この世界で。
私は涙する。
インスタントティアドロップ入りの
珈琲を飲みながら。
自動車にひき殺されたタヌキと同様
人間存在にとって重要な「運命」も
同じ運命を辿ったのだと。
テクノロジーを駆使した
セニョリータ達は次から次へと
現れる幻想にMOTTO MOTTO!と
前のめりで足元にある地獄行きの穴に
気付かずに足を進めようとする。
この現象を目の当たりにして
私は我が娘達のことを思う。
ハンバーガーを食べながら
ハンバーガーのような精神性を
見抜ける感性を身に付けるんだよと。
子供達よ。
まだこの世に現れぬ子供達よ!
君達の人生はインスタントなものではない。
永遠とも感じられる諸現象に
立ち眩みしながら私は無残に殺された
運命タヌキを回収する。
いつまでこんなことを繰り返すのだ!と
絶叫しながら私はインスタントコーヒーを
ブチまけたフロに入り
冷静さを取り戻すのだ。

私と人間存在という縁

縁というものは存在すると思う。
科学信奉者の耳元で囁こう。
直感がものをいう。
縁がないのであれば
何があってもダメなのだ。
諦めたまえ。
縁がある場合は何があっても
問題をすり抜ける。
体の力を抜いた状態と言うのだろうか。
流れに抵抗せず
まるで諦めの境地にいるような感覚。
それでも繋がる時は繋がっていくから
不思議なもんである。
縁の話はこれくらいにして
一神教芸術と多神教芸術を比較しながら
一神教的サービスと多神教的サービスを
創造していく夢を見た。
文化遺伝子適応可否会議に参加するのだ。
日本民族という摩訶不思議民族から
産まれたヱビスについて思いを巡らす。
サルバドールは救世主であり
非電気の轟音世界に鳴り響く
適材適所哲学と適材適所芸術の
深い考察がこれから展開される。
風景を醸成させる音を聴く人間が
そもそも感性がなかったらどうだろう。
先見性がない支配者の船に乗り
沈没していく様をどこから見ようか?
企業がジャムセッションするならば
それは良い兆候である。
土臭さを言語化して私はそれにまみれる。
哲学と科学と宗教と芸術のどれもが
私を絶頂させる。
私と人間存在という縁があったのだ。
おぱぱしおぱぱされおぱぱしあう
世界で私は下半身からロマンチックに
絶頂し硬直化した肉軸でロールする。