サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

聴覚化する脳

アコースティックな楽器ちゅうもんは
触ったことはあるものの
弾き鳴らしたことはほぼないので
ワイッフがアコギを持っているちゅうので
引っぱり出してきてもらい弦を張り替えた。
電気がなくても放屁は出来る!
っちゅうわけでアコギも
ちょいと弾いてみようかと思ったのだ。
弾いてみるとエレキとは全く違うわけだが
電気のない放屁もイイなと思う。
ある音楽家の先輩に
久々に会い励まされ感化され
またゴリゴリつくっちゃうおうか~と思い
毎週、即興音ネタを録り始めたが
早いもので3年目に突入している。
結局ビジネスだろうがなんであろうが
「着想」なしでは死ぬ人間だったのだ。
それに気付くのに20年近くかかった泣。
ギャグである。
現在、つくったネタは135あるようだ。
https://soundcloud.com/takeshi-ebisu/sets/ebisu-takeshis-1-minute-1
全部再生すると2時間以上かかるが
そのネタを曲として広げれば
8時間以上にはなるだろう。
ササっと曲にするにはチームが必要である。
昔のメンバー達が頭に浮かぶが
私は地方都市に引っ込んでしまった
クチなのでトーキョーに
毎度行くわけにもいかない。
そう、メンドクセーのだ。
他のメンバーも生活があり家庭もあるので
そこも難しいところだ。
半径3km内でメンバーを探すのか。
あるいは自己完結した
音源の世界に徹し没頭するのか。
超現実珍談士としての活動を
戦略的に検討していかねばなるまい。
ネタではなく地道に作品を完成させ
音楽をつくり続けるのであればやはり
自己完結したフローを確立した方がよいか。
生演奏のダイナミズムを得るには
メンバーも必要であろう。
しかし作品が存在すれば
それを必要に応じて渡すことでメンバーを
限定しない柔軟な対応も可能にはなる。
創造していれば満足な人間は
なかなか環境が変わらない。
しかしダイナミズムを得るには
外部領域への投下も必要であることは
頭の片隅ではわかっている。
やはり音源完結か。
ボチボチ考えていかねばならぬことである。
どないしまSHOWカッ!!!

内省からのモロ出し人生理念

休みの日は家で遅くまで寝ているとか
家族を放っておいてギャンブルに行くとか
そういうことは個人の自由だが
私にとっては絶対にありえない行為である。
本業がオフの日に将来に向けた別の活動で
家を離れなければいけないことがある。
そんな日が多くなりつつある。
コレが苦痛だ。
もちろんその活動の結果、見えてくる世界や
学ぶことがあり成長には寄与している。
しかしその一歩目が毎回苦痛なのだ。
冷静に内省してみると
私にとって一番大切なのは
家族と時間を過ごすことである。
子供と一緒に過ごせる時間というのは
人生で限られている。
その時間を配偶者と共に
味わい尽くしたいと心から思う。
次に私の私による私のための芸術を
掘り下げることが私にはとっては大切だ。
存在証明に怯えてるのだろうか。
理由などはどうでもいい。
とにかく重要なのだ。
はっきり言ってそれ以外は
私にとって「その他の活動」である。
その2つの活動のために役立つなら
私はその他の活動を喜んで行うだろう。
しかしそれは最小限の時間
でなければならない。
なぜならその時間が
2つの時間を圧迫するからだ。
トレードオフの問題ではない!!!
将来的にその他の活動は2つの活動の時間を
膨大に産み出すような
成果を出さねばならないのだ。
その他の活動の定義、位置付けである。
人生は一瞬である。
コレが私の人生理念であり
私の価値観である。
理念に反する行為は拒否するべきだ。
その理念が揺さぶられる活動なら
一切を拒否するし、別のやり方を考える。
チャンスを逃すかもしれないという
不安など捨て去ってしまえ。
別の方法を考えればいい。
着想で生きるという覚悟をせよ!
内省をすれば答えが見えてくる。
言語化すれば理論的に拒絶できる。
もう一度言おう。
人生は一瞬である。
サラミッ!!!

ダリに子供がいたら

ダリに子供がいたら。
ふとそう考える時がある。
ダリには子供がいなかった。
「天才から凡人が産まれるのは
耐えられない」などと言っていたらしいが
最愛の妻ガラが結婚後、病気により
子供が産めない体になってしまったので
妻のことを思い、そう言ったのではと
個人的には思っている。
ダリは女性恐怖症だったようで
愛人関係が噂される人もいたようだが
ガラ以外の女性との子供もいないようだ。
ダリの娘であると主張した女性が現れたが
遺体を掘り起こしDNA鑑定したところ
やはりダリの娘ではなかった。
土葬であったので掘り起こしたところ
トレードマークの髭がそのままであった。
何ともダリらしいエピソードである。
ガラと出会い、あそこまでガラを溺愛した
ダリに子供がいたらダリの世界観が
変わったに違いないと思うのである。
間違いなく作品にも大きな影響を
及ぼしただしただろうと私は想像する。
たらればの話であるが
三国志の魏呉蜀で蜀が天下統一したらとか
本能寺の変織田信長が死ななかったらとか
私にとってはそういう話と同レベルの
イマジネーションを湧かせるネタである。
ダリに子供がいたら書いたであろう作品とか
勝手に想像するのもいいだろう。
ダリに子供がいたら。
その振れ幅は狂気であり愛に満ちている。

マルチプレイヤー&マルチリンガルマン

焼酎希望珍談士もとい
中小企業診断士である人や
診断士を目指している人の中には
何らかのスペシャリストである人も
もちろんたくさんいると思うが
ジェネラリストやマルチプレイヤーの人が
結構多いのではないかと思われる。
「経営」という広大な領域を
そこそこ深く広く学んでいくわけだが
知りたがりや飽きっぽい人は
中小企業診断士の適性があり、
そういった人はジェネラリストや
マルチプレイヤーになりやすい傾向に
あるのではと思うのである。
そういった意味で私も
知りたがりで飽きっぽい人間である。
そういう人間はアレもコレも気になる。
最近私が気になっているのは
楽器マルチプレイヤー
マルチリンガルである。
私はかろうじてギターが弾ける。
そういえばベースも弾ける。
何をもって弾けると言えるのかわからないが
初めてギターを持った人よりは弾けるので
ギターが弾けると言っていいのだろうか。
そう考えるとなにをもって
マルチプレイヤーと言うのか
分からなくなってきたが色々な楽器が
弾けたら純粋に楽しそうである。
脳の使っていない部分がうずきそうである。
それと同様私は英語がギッリギッリの
レベルでまさにエビングリッシュとして
話す感じではあるが
これも他言語もエビングリッシュレベルでも
イイので使えたらイイなと思うのである。
エビパニッシュ、エビニーズ、エビンチなど
読めて話せたら世界が広がりそうである!
現にマルチプレイヤーマルチリンガル
存在しているのでそういう人間に近づき
下半身からおぱぱしてもらい
逆におぱぱしてやりたい気分である。
極めるなんてなんのその!
中途半端にかじりついてそこら中
穴だらけにしてしまえ!
スペシャリストは最終的に超現実珍談士に
おぱぱされるだろう!
おぱぱぱおぱぱぱおぱぱへい!

サウンドブランディング

サウンドブランディング」という
言葉が頭をよぎった。
ちらっとぶらっとふらっと調べてみると
すでにその言葉は存在しているようだ。
企業のブランディングにおける
音を利用した活動のことを指すらしい。
企業独自のメロディーであったり
CMで使われるサウンドロゴなどは
サウンドブランディングの一つである。
このサウンドブランディング
私が想定した概念とは異なる。
私が想定した概念は
ある音楽家やバンドのファンの期待を
裏切らないサウンドに関する
ブランディングのことをイメージしている。
楽家や売れているバンドは意識的に
すでにやっていることだと思うが
例えばライブなどではファンの多くが
知っている曲を演奏するケースが多い。
なぜならば知っている曲をやらなければ
ファンはガッカリしてしまうからだ。
しかしマニアックなファンと言うのもいる。
シングル曲や人気曲をやられると
しらけてしまうタイプもいるはずなのだ。
そう言った意味で音楽家やバンドは
演奏する曲をマネージメントする
必要に迫られていることがわかる。
ローリングストーンズが50年間も
サティスファクションを演奏しているのは
こうした力学が働いているからである。
演奏者、あるいはそれ以上に
かつ作曲者でもある場合は新しいものを
演奏、発表したいだろう。
しかしファンがそれを求めてないと
重要と供給が崩れてしまい
それが音楽家の方に悪い影響を
与えてしまうことが一番起こってはいけない
ことであるようにも感じる。
楽家もファンも楽しめるマネージメントと
その音楽家の音楽を
独自のポジションにならしめる
サウンドブランディングすることを
三者が介在してコントロールするのも
ナシではないのかもしれない。
こう書いていて逆説的に
世の中小企業のサウンドブランディング
やりまくる中小企業診断士もとい
超現実珍談士サルバドール・エビという
アプローチも悪くない気がしてきた。
さあ創ろうサウンドロゴを!
中小企業サウンドロゴクリエイターとして
世界をおぱぱしてもいいかもしれんゾ!

ぬほほ

GarageBandによるガレージバンド
ガレージバンドなのか!?
アメリカなどは家のガレージで
バンド練習をやっていたらしい。
今もやっているんだろうか。
だだっ広いところでは
家がポツンとあるだけだったら
そんなことも出来るのかもしれない。
羨ましい限りである。
しかしここはジパング
地方都市とは言えど人口密集地帯。
ガレージで発狂できる環境ではない!
DTMで発狂するべきなのである!
私は「ぬほほ様」に語りかける。
再現困難性の直感に関して。
ぬほほ様はこう答える。
再現困難性は集団の方が優位じゃが
君はそんなことは気にするなと。
雑務部長に全権限を委譲して
私は忘却会議に独りで参加する。
無音の中で目を閉じて
自然体と不自然体の境目から生じる
魅惑のエロスを感じ取る。
自力本願!
他力本願!
本願寺で待ってる女と
本能寺で待ってる男の最終結末は
感情データベースで計算されるのだ。
大使館マニアになって
その門の前で正座して
おぱぱへい大使として私は
チャイムを鳴らすと同時にその音を
放屁でかき消すだろう。

遺伝子などなんのその

私は一卵性双生児の父である。
一卵性双生児は時代や人種に関係なく
統計的に1,000組の中で4組出現する。
一つの卵が2つに分かれる理由は
まだ分かっていないらしい。
一卵性双生児は謎に満ちているのだ。
数の子供を同時に出産することを
多胎出産と呼ぶが多胎は
単胎と比較してかなりリスクがあることも
当事者になって初めて知ったのだった。
卵が2つに分かれるということは
遺伝子は全く同じである。
顔がそっくりなのはそういう理由である。
そっくりであると言うことは
何かの手違いで
双子が入れ替わってしまったら
どうするのだ!!!という不安から
産まれてすぐに足首にちょっとした
色の違いをつけた紐のようなものをつけた。
しかし不思議なものである。
親は見ただけで全く別の顔に見えるので
ラックに逆に置いてしまったりすることは
あり得なかった。
現在は同じ服を着ていても
背中でどっちかわかるくらいである。
コレは一卵性双生児の親なら
あるあるネタだと思う。
そして最も興味深いものは性格の違いだ。
一卵性双生児に人生のどこかで
会ったことがある人がほとんどだと思うが
ご存知の通り性格も全く異なる。
遺伝子は同じだが全く異なるのだ。
遺伝子などなんのそのなのである。
人というものは、生命というものは
本当に興味深い。
人は一人一人それぞれ違うのである。
人には間違いなく特性が存在するのだ。
私は2人の個性を尊重しなければならない。
個性を最大限に伸ばしてあげることが
サルバドール・エビの使命である。
子供達よ。
超現実の世界へようこそ!!!
人生をおぱぱしよう!!!