サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

異国語と人口知能の未来

一切手を使わずコーヒーカップを上に向けて
アゴカップを支えてコーヒーを
飲んでいたらあることを思った。
将来、人工知能が進むと人類は異国語を
学ぶ必要がなくなると誰かが言っていた。
AIが翻訳してくれると。
ほ〜それは便利だなと思いつつも
ソレは人間の退化を意味していることを
瞬時に悟ったのである。
私は異国語を流暢に使いこなせるわけでは
ないので偉そうなことは言えないが
ご存知の通り、ある言語には
ある言語特有のその言語にしか存在しない
言葉というものがある。
コミュニーケーションを取り生活を普通に
送るためなら必要はないかもしれないが
深い思考をするためにはやはり他言語も
知っていた方がイイに決まっているのだ。
その言語にしかない表現を自国語で
どう扱い思考するというのだ??
まさにギター弾きで言えば
一つのアンプの音しか知らない状態である。
この音楽にはあのアンプの音が必要だと
言っても通じないのと同じ意味である。
ソレはソレで男気があると言えなくもないが
表現のバリエーションを自ら殺していると
言われれても否定できないだろう。
もう一つ頭をよぎるのは
西洋の経営理論を我が国での経営に
そのまま当てはめてはいけいないと
言われていることだ。
その理由は第一次的に異国語を翻訳して
表現されていることに起因している。
つまり頭をグニャらせろということだ。
まずはコーヒーを一切手を使わずに
飲むことだ!!!
コーヒーをおぱぱせよ!!!