サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

量と質の境界線

量より質だという言葉より
量こそ質だという言葉の方がグッとくる。
寡作より多作の人が気になる。
少ないアウトプットでものすごいモノを
世に出してくるケースもある。
ピンと浮かぶのは"There She Goes"という
珠玉の名曲を書いたリー・メイヴァースだ。
とんでもなくイイ曲をかけるのに一発屋
片付けられてしまうのは気の毒でもある。
しかし良い曲書けたんですねと思うだけで
作品をボンボン出してないと
その人そのものに対する興味が
それ以上湧かないことも確かではある。
一般的に量をこなすことで
質はあがっていくだろう。
その意味で量こそ質であるという言葉は
間違いではないと思う。
何かに取り憑かれたかのように
強迫観念があるかのように作品を
つくりまくる人というのは存在する。
詳しくその人の伝記や自伝や
インタビューを見ていると幼い頃に
何かしらの大きな精神的ダメージを
受けていたとか、
そういった共通点があったりもする。
多作な人はなぜ多作なのかを調べると
興味深いことがわかるかもしれない。
私は毎日ブログ執筆、毎週音ネタ制作を
行っているが、この程度では
まだ寡作の範疇であると言っていい。
毎日数千字執筆、10曲程度の音ネタ、
月1で数曲入りのアルバムを
作れるくらいになりたいものだ。
画も描きまくってみたい。
時間がない!?
クソ!待ってオ・レ!!
肛門哲学と放屁芸術を極めることで
その課題をおぱぱし多作の狂人として
私は人生をティン化するのだ!!!

パパはいつもしごとでなにおしているの

「パパはいつもしごとでなにおしているの」
我が子からそんなメモをもらった。
答えをその下に書けと。
私は一体何をしているのだ?
一瞬パニックになってしまった。
マーケティングブランディングだとしたら
どう伝えればいいのか。
悩みこう書いた。
「しょうひんをいろいろなひとに
しってもらうようにしているよ」と。
うーん。
ん?と思ったに違いない。
小学生以下の子供に何をしているかを
伝えるのは難しいことであるが
簡単な職業もたくさんある。
「おいしゃさん」「パンやさん」
「しょうぼうし」全てこれだけで通じるだろう。
仮に診断士だとしたら何と伝えるのか。
「かいしゃをおうえんしているよ」だろうか。
かいしゃ???となり
何かに対してがんばれー!がんばれー!と
言っている謎の行動を取るパパを
思い浮かべるに違いない。
子供が理解しやすい仕事、し辛い仕事は
あるにせよ小学生以下がわかる言葉で
何かを表現するということは
哲学的明示を得られる行為かもしれない。
いつの日か
「パパはおぱぱしているよ」と堂々と
言える日が来ることを夢想して
私は日々をティン化しぐにゃらせる。

New Music Mix Problem

私はApple Musicを利用している。
毎週金曜日にNew Music Mixとして
何らかのアルゴリズムを用いて
私に色々な曲をオススメしてくる。
コイツが結構やんちゃなのだ。
私は98%以上国外の音楽しか聴かないのにも
関わらずJ-POPやら何やらをガンガン
オススメしてくるのだ。
私はJ-POPを毛嫌いしているわけではない。
オススメされたものは一応流すだけ
流してみることにしてる。
そのほとんどに目眩と吐き気を催してしまうが
自分の視野を広げるためには
拒絶してはいけないと思っている。
そう考えるとある意味金曜日は半分
私は苦行を行なっているということだ。
ワクワクと絶望の入り混じる時間である。
音源というものがこの世に存在するようになり
100年くらい経過するのだろうか。
膨大な音源が存在する中で
なぜそんなに新譜をオススメしてくるのだ??
詳しく見てみるとニューリリースを
お届けすると書いてあった。
つまりレコード会社のマーケティング
一つの手段だったのである!
いや半分くらいはわけのわからない
民族音楽などをオススメしてくるので
どういう選定でやっているのだろうか?
絶対聴きはしないアイドルソング
コンゴだのベナンだのアフリカロケンローが
なぜ同じリストに入ってくるのだ!?!?
謎である。
純粋にマーケティング要素をのぞいて
私に音源をオススメしていただきたい。
よろしくアポー!!!

リッンナイ~♪イン・ズィ・イディオテック

時として限られた極少数の音で
全てを表現できているのではないかと
感じさせる音楽が存在する。
瞬間的に思い浮かべるのは
Radioheadの"Idioteque"でリフレインされる
シンセサイザーの音塊である。
現代音楽家のポール・ランスキーの楽曲を
サンプリングしたものらしい。
高音と低音のシンプルな絡み合いであるが
歌詞の世界観がその音塊の中に
すでに存在していたかのような印象を与え
人間の深い部分に突き刺してくるようである。
よーくそこだけを注意深く聴いていると
とてもつもなく恐ろしい音塊にも聴こえてくる。
そういった意味で音塊というものは
超現実を呼び覚ます触媒としての機能を
持っていると言ってよい。
鋭い音塊は目に見えない映像を
脳内に再生させその独自の世界が
一人歩きすることでそれが絵画になり
小説になり映画になり新しい音楽になるのだ。
そこからインチュピレーピョンヌを経営という
領域にフィードバックしてみると
企業のサウンドロゴの新しい在り方と
その可能性が見えてくる。
サウンドロゴは一つの音楽として
完結している場合が多い。
しかし完結するのではなく"Idioteque"の
シンセサイザーのように続きを聴き手に
委ねるようなサウンドロゴ
存在していいのではないだろうか。
私は脳内でIdiotequeのシンセサイザー
リフレインさせながらリッンナイ~♪を
その音像にのせる。
それすなわちイディオットミュージックの
誕生でありリンナイのガスコンロの中に
核戦争の地獄絵図が
投影されることを意味するのである。

研Q会連打ブラスティンッ!

研究会。
私は企業内診断士研究会に所属している。
最近企業再生研究会にも参加してみた。
全国に存在する診断士主催の研究会は
とにかく広範囲で膨大な数がある。
思えば若かりし頃は研Q会と呼ばれるものに
所属したことはなかった。
いや、大学時代に
ロック研究会というものに入っていた。
ロッ研の問題児であったことを忘れていた。
問題児は益々問題児になる。
それはおぱぱ的宿命なのである。
所属診断士会では一定人数以上いれば
公認で研究会を設立できるらしい。
診断士会であれ珍談士としてであれ
研究会を立ち上げるとしたら
どんな研究会がイイか考えてみた。
「地域密着型士業研究会」
GarageBand研究会」
「大企業の弱点研究会」
「統計方法分析研究会」
「企業間連携研究会」
「診る書く話す研究会」
「日本唯一のもの研究会」
「ちび飲み研究会」
コンゴギター研究会」
「有料note研究会」
「バカ本研究会」
「知の巨人の日常研究会」
キラーコンテンツ研究会」
「オリジナルコンテンツ研究会」
「狂人プレゼンテーション研究会」
「事業DD研究会」
「パラレルワーキング研究会」
「リモートワーキング研究会」
「情報収集研究会」
「一人経営研究会」
「オールマイティ診断士研究会」
「取材される企業研究会」
「原価研究会」
わげえ!!!
これではいくつ体があっても足らない。
研究会に殺される!!!
助けてくれー!!!
そうだ!
統合して「おぱぱ研究会」を創設しよう。
世界をおぱぱするために。
おぱ!!

有効性×効率性×偏執狂性

情報収集術や検索術に関して調べていると
時間術なども気になってくる。
まず何かを調べようとなった時、
現代はインターネットに
検索をかけるのが一般的である。
しかし広い意味で考えれば情報収集の中に
インターネット検索があるので
価値ある情報収集を行うには
情報収集術を極めなければならない。
そして情報収集には時間がかかる。
時間は有限であり少ない時間で
より良い情報を収集し、
さらに時間を捻り出し成果を出す、
つまり何かを出力していくには
時間術を極めることも重要である。
インプットとアウトプットにおける巷でよく
議論される有効性と効率性の話である。
この点に関しては
4-Hour Methodの創立者Tim Ferrissが
最も得意としていることである。
有効的でないものをいくら効率的に
こなしてもほとんど意味がない。
それを意識するのは大切であるが
私はこの2軸にもう1つの軸を加えたい。
それは偏執狂性である。
3次元の世界で生きている人間が
何事も2軸でマッピングしようとするから
後々問題が生じるのだ。
そして独自性などという曖昧な軸も追加しない。
何を持って独自的だと言えるのか。
イデア発想法の類に頼りきって
物事を進めれば次第に独自性は死に
出力は均質化していく。
その個人単体の妄想性、つまり唯一無二を
規定する自己の感覚器官から生じる超現実を
そこに追加しなければなるまい。
超一流の成果物を出したいのであれば
有効的かつ効率的かつ偏執狂的であるべきだ。
私はその次元に突き進んでいきたい。
3軸の世界観を持って3次元の空間を
渡り歩いて行かねば。
てぃーりてぃりとぅーん。
2軸マッピングはおぱぱされるだろう。

失踪マーケティング

珍談士を目指した理由の一つは
マーケティングを掘りたかったことである。
現在本業はどちらかと言うと
ブランディングがメインであるが
広義の意味ではブランディング
マーケティングに含まれる。
ブランディングのコンテンツを
マーケティングの手法で拡げる方法を
実践しているような状況だ。
ブランディングマーケティング
サイマルテイニASSに行われることで
シナジーを起こせるので
無限の打ち手を考えることが
出来るのが面白いところである。
マーケティングは多義的で
柔軟に色々な概念と結びつく。
最近、流行りなのはオートメーションと
合体したマーケティング・オートメションだろう。
最近のニュースを見れば
失踪と結びついた失踪マーケティング
私の中で打ち手の一つに加わったところだ。
「よし、お前失踪しちゃえ!」
なかなかナイスなアイデアである。
次はどんなマーケティングが出てくるか
ワクワクが止まらない。
大したものでなくても
マーケティングブランディングによって
キラキラと光り輝くことができるであろう。
その一方で
マーケティングブランディング
一切やっていないので
とてつもない宝石なのに
誰も気づいていないケースもあるだろう。
そっちの方が多いのかもしれない。
何はどうであれ
本質的にそのものが輝いてなければ
つまらないことは明白だ。
その意味で相対的価値ではなく
絶対的価値の向上を目指すことが
必要不可欠である。
それはつまりダリ流マーケティング
ダリ流ブランディングとでも名付けておく。
珍談的にならねばならない。
笑われてなんぼ。
不安がられてなんぼである。
お利口さんマーケティング
お利口さんブランディングは御免である。
テキスト化されないところに
真価は存在するのだ。