サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

性格の不一致

サルバドール・ヱビのアンテナが反応した。
「性格の不一致」ってなんぞやと。
誰かと誰かが結ばれ、時が経ち別れる。
それが日常茶飯事の現代であるが
その最大の理由が性格の不一致だそうだ。
ふむふむ。
そもそも性格が
一致することはあるのだろうか?
産まれや育ちも違う人間の性格が
一致していた方がオカシイ。
音楽性の違いでセパレートするのと
性格の不一致でセパレートすることは
言葉上では私には
大差がないように聞こえてしまう。
つまり人間の性格は
不一致がデフォルトなのである。
そう考えると性格の不一致という言葉は
何が言いたいのかが見えてくる。
それは自己理解と他者理解の欠如、
つまり相互理解の欠如が根本的な
セパレートの原因であるということだ。
自分の価値観を押し通そうとお互いやれば
ドンパチになるに決まっている。
まずは自分を知り
次に相手がどんな人間なのかを
知ることが前提として必要なのだ。
この世には適性診断と呼ばれる
便利なものがたくさんある。
そういうものを使って
相互の理解を進めるのもいいだろう。
しかしそれはやり過ぎでもある。
そんな遠回りをしなくてもいい。
やはり対話である。
対話に尽きる。
人と人とは
対話で始まり対話で終わるのだ。
対話を続けていく中で
セパレートすることに
決まることもあるだろう。
ただそこで言えるのは
それは性格の不一致が原因ではない。
それぞれの理念が違うのである。
「人」を理解するということは
深遠なテーマであるが
注意深く掘り下げていきたいところだ。
「人」こそ神秘の塊である。
私は「人」に最もおぱぱされる。