サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

他人事の先の超現実

他人事と自分事の違いは何だろうか。
たとえば経営支援をする場合
支援先を他人事と思っていたら
良い支援は出来ないだろう。
自分事ではないが自分事のように考えて
入り込んでいくのがあるべき姿だと思う。
あるものに対してそれは経営だろうが
芸術だろうが何でも良いのだが
全員が他人事と思い取り組んだ場合
非常に薄ら寒い結果が待っているだろう。
ビジネスでは悲しいかな
そういった状況が時に起こってしまう。
逆に全員が自分事と思い取り組んだ場合
そこには衝突が生じるだろう。
しかしそれは必然である。
そこで空中分解するのか
妥協しながらもあるものに向かっていくのか。
どんなジャンルであれ傑作と言うものは
そういったプロセスを踏んでいるものだ。
たった一人でつくられたもの以外は。
そういった危うさを秘めながら
物事は進んでいくのだ。
そんな事を考えている内に
逆説的な概念が浮かんで来た。
自分事を他人事のように考えると
上手くいく時があるのではと。
何となく具体的なイメージが湧かないのだが
万物は逆説的に設定されているならば
そんなこともありそうである。
つまり超現実の世界では
他人事と自分事は分離されておらず
一部は他人事、一部は自分事になっており
グニャグニャに変形し混ざり合い
その議論さえも愚問なのである。
私はどうでもいい話をグダグダ書いただけだ。
この文章は他人事である。
阿修羅のような手が生えて他人の鼻と耳が
取り付いた私には中南米の誰かさんが憑依し
自分事を考えている。
ただそれだけである。