サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

オパチュニティーズ

新しいワードが舞い降りてきた。
「オパチュニティーズ」である。
エンゲリッシュではOpatunitiesである。
意味は言うまでもなくもちろん
おぱぱできるオポチュニティーズである。
肛門哲学的にオポチュニティーズが
おぱぱされてしまったと言うことだ。
いわゆる放屁芸術的表現である。
キャリア・オポチュニティーズと言う曲で
ジョー・ストラマーは出世の機会など
決して訪れないと歌った。
1977年のクラッシュの1stアルバムに
収録されているキャリオポを初めて
聞いた時なんか可愛らしい曲だなと思った。
ライブバージョンを聴き
激情型パンケロックであることを知った。
ジョー・ストラマーピストルズを観て
衝撃を受けワンオーワンナーズを
おぱぱしクラッシュを始めた。
キャリア自体をおぱぱしたのだ。
そこに気づけたパンク少年は当時
何人いたのだろう?
そういった意味でキャリオポは
オパチュニティー的であるのだ。
なんとも逆説的な話である。
出世の機会などないとそれをそのまま
鵜呑みにしアルコール、ドラッグに走った
パンク少年はオパチュニティーズを失った。
彼もギターを持てば良かったのだ!
180度現在を変革させることが答えだったのだ!
いつの世も変化できる者が生き残り
変化できない者は滅ぶ。
つまり歌うべきことなど存在しないのである。
それを頭の片隅に置いて詩を読むことが
自身をおぱぱする唯一の方法と言えるだろう。
肛門哲学に反する芸術表現は
非放屁芸術的であるから私は安易な詩を
哀しいかな理解することができないのだ。