サルバドール・ヱビ

超現実珍談集

肛門と首の形而上学的意味

あることに気づいた。
全ては肛門へ帰結していくと。
人間存在は肛門から始まり
一旦肛門で終わるのだ。
開始点であり終着点である。
しかし私は首を守らなければならない。
人間の部位で首ほど私を敏感にさせるものはない。
首に全存在がかかっていることは
言うまでもないだろう。
首が細い理由はそういうことだ。
首は守るべきもの。
肛門は人生を語るもの。
各部位はおのおの形而上学的意味を
帯びているのだ。
その意味を拡大していくと
全生命体の各部位に辿り着く。
全生命体の各部位はそれぞれ
形而上学的意味を帯びているのである。
そしてそれは比較文化論を想起させる。
比較生命体部位論が議論されることが
今後予想される。
そこではもちろん犀の角が論じられる。
キリンの首、象の鼻。
まずは初級編として
そこらから始まるのだろう。
そしてかの有名な格言である
「最期に見た夢は二人の子供に囲まれた自分」
が実現されることを願いながら
己の各部位について思索する。
私は白湯を飲み身体に日々語りかける。